リタがふっきれてて、おっさんがもだもだしてるお話。ED後リタのところにメンテナンスに行ってる設定です。
部屋はいつも静かだった。
リタは心臓魔導器の検査をはじめ、いつものように数値を確認している。レイヴンはその様子をぼんやりと眺めていた。
精霊術を応用した暖房器具がしゅうしゅうと音をたてている。もちろんリタが作ったものだ。簡易なしくみで部屋を暖めることのできるそれはまだ試作段階で、リタの家で試運転がわりに使われているのだった。
「今日は、すこし数値が不安定ね」
「それって、あんまり良くないこと?」
「安心して。誤差の範囲内よ」
リタはあっさりとそう返して制御盤の操作を続ける。
しゅう、と暖房の音が一瞬止まると、ほんとうに部屋の中に音はしなくなった。この空間に閉じ込められたような気になる。レイヴンはメンテナンスの時いつもそんな気分になった。検査をしているリタの真面目な顔をレイヴンが見つめていると、なに見てんのよ、うざい、と言われるので、視線を正面から逸らし部屋の中に漂わせる。
リタはうん、と軽くうなずきながら制御盤を消し、ノートに何か書き込み始めた。
「お、大丈夫そう?」
「うん、そうね、魔導器の調子は大丈夫よ。ただ……」
リタは悩ましげに口ごもった。リタがこんな風になにか言うのをためらうことはあまりないことだった。
「ただ?」
「ただ、ずっとわからないことがあるの。メンテナンスを始めてから、ずっと」
レイヴンはリタのいつもと違う様子に何かを感じていた。検査はあっさりと終わるもので、終わったあとレイヴンは何事もなかったかのように去るのがいつものことだった。あまり長居をして噂が立ったりしたら困るからだ。リタのためにも、レイヴンのためにも。
「あたし、この子にずっと動いていてほしいって思うの。できる限り、ずっと」
「あら、おっさんの心臓にそこまで思ってもらえるなんて、嬉しいねえ」
レイヴンはリタの素直な言葉に、軽い調子で返した。リタはずっとレイヴンの胸の心臓魔導器を見つめていた。
そして、リタはふっとレイヴンに近づき、魔導器に白い手で触れた。魔導器の表面は硬いがぼんやりと光り、熱を発していた。
「でもこの子は、ほかの魔導器とは違う。おっさんの、心臓だから」
「そこまで真剣に考えなくてもいいんだって、所詮、おっさんの心臓なんだし」
「あたし、あんたのことが好き」
リタは心臓に触れながらレイヴンの目を見つめた。はっきりとした声だった。
「え……」
レイヴンは当然面食らった。薄々感づいていた、ような気がしたが、やっぱり気のせいでその瞬間は内心とても慌てふためいていた。
「……違うわね、正確には、好きかもしれない、だわ」
リタは寂しげに視線を下げて、心臓魔導器にこてん、ともたれ、頬をくっつけた。
「わからないの。この子に動いてほしいと思うことが、あんたを好きって思うことなのか」
心臓の音はリタの頬を規則正しく打つ。
「わからない、でも、こうしてると、泣きそうになる」
魔導器の赤い光はリタの顔を赤く照らしていた。
「わからないのって、本当は研究者としてはよくないことなのに、でも、わからない」
「……リタっちにしては珍しいね、そういうこと」
「そう……今までこんなこと、なかったわ」
レイヴンはどこか他人事のように喋っていた。実際に、それが自分に関連することだという実感はなかった。いつかこういうことになるかもしれない、と考えたことがないわけではなかったが、あまりにもそれは突然だった。
「もしこの子が他の人間のものだったとしたら、あたしはどうしてたかしらね」
リタはそのままの姿勢で話し続けた。
「きっとそいつのことも、リタっちは頑張って生かそうって思ったんじゃない?」
「そうね……そうかもしれないわ。でも、今この子はここにあるんだから、もし、なんて話しても仕方ないわよね」
もし、この心臓魔導器がなかったら。自分のもとになかったら。レイヴンはリタと出会うことはなかった。今の生すらもなかった。
「あたし、魔導器が自分の全部で、何かを欲しいなんて思ったこと全然なかったけど」
リタはほんの少し視線を上げた。
「ここにいたいって、ここでずっと音を聴いてたいって思うのは、どうしてなの」
レイヴンは自分の心臓の音がどくんと響くのをはっきり感じた。
その胸の物体なしに自分を考えられなかった。今も、これからもそうだろう。自分を愛するということは心臓を受け入れることとほぼ同義だった。その心臓を愛してくれる少女の存在に、レイヴンはいつも戸惑いを感じていた。メンテナンスの時に感じる胸が詰まったような感覚はそのせいだった。
リタの問いかけに答えてもよいのか。たくさんの迷いとためらいが頭の中を駆け巡った。ひらりと逃げてしまおうと体に力を入れてみたが、手も足も首もなにも動かなかった。リタのぼんやり赤く照らされた儚げな顔と、心臓に寄りそう頬と髪と手の感触だけがそこにはあった。
「う…………」
声もうまく出せない。なにを喋ろうとしたのかさえわからなかった。
そのまま二人とも身じろぎひとつしなかった。リタはずっとレイヴンの胸で心臓の音を聴き続け、レイヴンはその光景をただ見つめていた。なんの音もしなかった。ただひとつの鼓動以外は。
やがて、どれくらい経ったころか、リタは心臓から顔を離して、
「……くるしい」
そう、呟いた。
リタはうつむいて、さっきまで心臓にくっつけていた片頬に手をあてた。そして、不思議そうに首をかしげた。
「わからない」
そう言ってリタは散らばった物を片付けはじめた。レイヴンはさっきから身じろぎひとつできていなかったことに気づいた。久しぶりに呼吸したような気がした。しゅう、と暖房器具の音がして、レイヴンは寒い、と思った。どれくらいああしていたのだろう。寒さも気づかないくらいに。ぼんやりと考えたまま、レイヴンは服を直した。
「リタっ――――」
リタっち、じゃあそろそろ帰るわ――そういつもの調子で、何もなかったかのように口にしようとしたはずだったが、それはできなかった。片付けをしていたはずのリタはいつのまにか目の前に立っていてレイヴンの唇を塞いでいた。レイヴンは今起きていることが把握できず、ただ頭は熱にうかされたようにくらくらと揺らいだ。
「わかったわ」
リタはレイヴンの目の前で、満足そうに微笑んだ。
「わからないのは、答えがあんたの中にあるからだったわ」
レイヴンは手に持っていた羽織をはらり、と落とした。
「箱を開けるまで、それが何かはわからないの。でも、あたしはその箱の中身をふたつに仮定できるの」
ぴっと二本指を立てた。
「あんたがあたしを好きか、嫌いかのふたつ」
リタの瞳はしっかりとレイヴンを見据えていた。
「あたしは、あんたがいつも逃げようとしてたことなんてとっくに知ってるし、でも、箱を開けて出てくる答えはどちらかひとつだけって決まってるの」
どこかで聞いたような、難しい話にリタは例えた。しかし今分かっているのは、リタは自分の分からない答えをレイヴンに委ねたということだった。つまり、リタを好きか、嫌いか、はっきり選べということ。若さゆえの選択肢だと思った。
「そんな、嫌いなんかじゃないけど、でもリタっちをそういう目では見られないって。リタっちにはいつも感謝してるし、一緒にいると楽しいけど」
ずるい言葉だと思った。しかしいつもこんな感じでなにもかも切り抜けてきたのだ。ふとあの苦しさを思い出した。最後の言葉は嘘だった。
「そう、それは、嫌いってことでいいのね」
「いや、そういうことじゃなくてね、好きでもいろいろあるっていうか……」
「でも、あたしの意味するところの好きじゃないってことよね」
「まあ、いや、そうなるかもだけど……」
うまく逃げたようで、ずっとペースを乱されつづけていた。いつもうまく回る自分の口がちゃんと動かない。
「そう。答えは嫌い、ってことね」
リタは腕組みをして、片足で軽くトントンと床を叩いた。レイヴンは再び静かになった部屋の空気にほっとして、さてここからどうやって切り抜けたものかと考えていた。
「わかったわ」
リタは顔を上げ、はっきりと答えた。
「あたしの答えは、あんたが好き」
「へっ……」
思わず間抜けな声が出た。
「あんたがあたしを嫌いって答えを出しても、あたしはあんたを好きってことがわかった。だから、あたしの答えは最初から合ってた」
「それって、おっさんの答え、意味なくない?」
困ったような顔をして言ってみせた。つまりレイヴンの答えがどちらでもそれはリタの答えを裏付けることになったということだろう。
「そんなことないわ。これはおっさんの答えも含めた、あたしの答えを明らかにする実験よ」
リタはこれまで見たことのないような顔でにっこりと綺麗に笑ってみせた。
レイヴンは心臓がうずくような感覚を覚えた。さっきまでずっと見つめていた、リタの赤く照らされた顔がよぎる。それが目の前のリタの顔と重なってゆらゆらと揺れた。
「ああ」
目の前にあるリタの瞳の中に映る自分は、何かを失くしたこどものような顔をしていた。鼓動が響き耳を覆い、そのうち何も聞こえなくなった。
「わかった」
いつも感じていたあの苦しさ、あれは愛された戸惑いと、それから恋だった。
あとがき
リタっちに翻弄されるおっさん。
最初はリタとおっさんがもだもだして進みも戻りもしないような話が書きたかったのですが、リタっちが「ちょっと実験するわ」と暴走し始めたのでこんな形に。結果的におっさんだけがとてももだもだしている感じに(笑)
リタっちに振り回されるおっさんが好きです。こんな感じの話ばっかり書いてるな……。
ありがとうございました。