再生

暗めのアレシュです。


人を殺した夜は、いつも音が聞こえなくなる。

風が鳴っているのか、馬車が軋んでいるのか、誰かが叫んでいるのか、それらは鈍い圧迫であったり鋭い針であったりする。そうした刺激に注意を払うことはない。任務を終えた道具は、速やかに帰還する以外の行動を取るはずがない。夜の帝都をすべるようにシュヴァーンは歩く。結界の輪が頭上に光り輝いている。高くそびえ立つ城はすべてを司るかのように街を見下ろし、その巨大さは神々しくも見える。

誰にも会わぬよう細心の注意を払いながら、廊下に足を踏み入れる。どの部屋からも人の気配は感じない。音を識別できぬとも、気配の存在と不在はきちんと認識できた。そうでなくては意味がない。

「閣下」

戻りました、と口にする前に扉が開いた。平服の騎士団長アレクセイが真っ暗な部屋の内に立っていた。アレクセイはシュヴァーンを招き入れると、扉から見て左の壁際に備え付けてあるソファに腰を下ろした。

「報告を聞こう」

「滞りなく完了しました。証拠の偽装も問題なく」

ソファの脇に跪くと、アレクセイの膝がちょうど目に入る。膝当てがなくともこの人の脚は崩れることがないだろう、と思えた。ふと、手が伸ばされ、頬に指が触れ、力がこもる。何かを拭うような仕草をする。少しだけ離された指は赤く染まっていて、その赤がすうと唇に吸い込まれる。

「……不味いな」

ふたたび両手が伸びて、髪をすく。耳を覆われて、柔らかな静けさに閉じ込められる。首筋を温いものがたどり、熱い痛みがぴりと走る。それはしばらく絶え間なく続いた。白銀の毛先が顎をくすぐり、彼も動物であることを知る。冷え切った夜を歩いた体があたためられていくのを感じ、自らもまた同じであることを知る。昏い眼差しに射抜かれ、シュヴァーンは道具から捕食を待つだけの獣になる。大きな手が変装のために被っていた外套を剥ぐ。使われるのも喰われるのも、シュヴァーンにとっては変わりがなかった。喰われて体がなくなるのならまだよかったが、痛みとともに残されるだけだった。

「シュヴァーン」

耳元で唇が動く。声は毒薬のように痺れを与え、手足の力を奪っていく。糸を切った人形のようにアレクセイの腕の中でくずれおれる。先刻手を下した者が同じようにばらりと崩れたことを思い出す。

——なぜあの者は死んで自分は殺されないのだろう?

アレクセイにもう一度名前を呼ばれ、なにごとか言われた気がした。シュヴァーンはただ手を伸ばす。すべてを受け入れる代わりに、骨も残らなかったならどんなに良いだろうと夢想した。夜は痛いほど静かだった。

 

 

 

朝、シュヴァーンは一人で目を覚ます。体じゅうが鈍く痛み、天井を見つめしばし放心する。扉の外からは遠く喧騒が聞こえてくる。窓に寄り、世界が秩序正しく動いていることを確認する。

部屋の中には誰の姿もなかった。ただシュヴァーンの服だけがきちんと畳まれて執務机の上に置かれていた。廊下をばたばたと行き過ぎる足音に、なるべく手早く着替えを始める。鳥の声がうるさいほどに上方から聞こえる。きっと上階のバルコニーに数えきれないほど止まっているのだろう。

服を着替えたシュヴァーンは執務机のそばに屈み、磨かれた表面に片耳をつける。コツコツと重い足音が聞こえる。近づいてくる音を感じながらシュヴァーンはそのまま目を閉じる。

扉が再び開くまで、あと五歩残されている。