夢みたあとの此岸に立ち

旅が終わったあと、リタは仲間の一人としてレイヴンと一緒に暮らしていたが、あることをきっかけにリタの心は変わり始める。

ED後同居設定で恋愛関係ではないです。


これは夢なんだろうか、と思った。

 

シーツの上でリタは組み敷かれていた。なにも身に着けていない体が空気にさらされているのに、寒くはない。むしろ暑いくらいだった。目の前の大きな影は視界を覆い、体の上をゆっくりと動く。そしてリタにただ甘やかな感覚をひたすらに与え続けている。その波にのまれ、息をするタイミングがわからずに、リタはこらえきれず咳きこんだ。

「んっ、こほっ」

その様子に、リタに覆いかぶさる影は大きな手のひらで背中をさする。慈しむような仕草に心がふるえるような思いがして、リタはたまらず手を伸ばし、その影の顔をのぞきこもうとした。

「――リタ」

黒い髪の隙間から、凍えるような碧が見えた。その瞳の向こうに確かに息づく見たこともない熱に、まるで本当に射抜かれたような痛みをおぼえて、リタは気を失った。

 

 

 

どすん、と重い衝撃で目が覚めた。目を開けると、ものの見事にベッドから落ちていた。

「……おっさん」

なぜか、目覚めて初めに口から出た言葉はそれだった。ぽろりと口に出して、リタははっと顔を赤らめた。なんでまた、あの夢なんか。

最近よく見る夢だった。はっきりと詳細を覚えているわけではなかったが、目覚めたあとリタの中にはいつも甘いイメージだけが残った。

リタはずり落ちたシーツと散らばった本を適当に片付けながら考えた。夢に出てきたのは、今この家でともに暮らしている、他ならないレイヴンであった。しかし、レイヴンに対してそういった願望を抱いたりしたことなど決してないはずなのに、なぜあんな色めいた夢を見てしまうのか、リタにはさっぱり分からなかった。軽く自己嫌悪にすら陥ってしまう。

――そりゃ、一緒に暮らすようになったのも、半分あたしが押しかけたからだし、もうずっと一緒にいるし、嫌いじゃないのは確かだけど、でも、あんな……。

また夢の光景を思い出しそうになり、慌てて頭を振った。リタにとっては、知識としては軽く持ち合わせてはいるものの、経験としてはまったくない領域のことだった。だからなのか、夢の内容はいつもぼんやりとしており、起きたあとはほとんどイメージくらいしか残っていないのだった。しかし例えぼんやりとしたものでも、レイヴンが出てきたことははっきりと覚えている。それが納得いかず歯がゆく、リタは乱暴にどさっと丸めた布団を小さなベッドに投げた。

 

 

ドアを開けると、レイヴンの後ろ姿が見えた。ソファに腰かけてどうやらコーヒーをすすっているらしい。なんだか顔を見たくなくて、起きてきたことがばれないようにそうっと台所に近づいた。

「あれ、リタっち」

当然のように気づかれてしまった。

「なんでそんな変な歩きかたしてんの。さっきなんか音聞こえたけど大丈夫?もしかしてベッドから落ちた?」

リタが足音をしのばせて歩いても、レイヴンにはあっさりばれてしまうのが気に食わなかった。そしておまけにベッドから落ちたことまで見抜かれている。

「な、なんでもない!落ちてないわよ!」

背を向けて、むきになって答える。食事を求めてがさごそと戸棚を漁っていると、いつの間にか隣にお皿を持ったレイヴンが立っていた。

「はーいこれ、おっさんの特製サンドイッチ。どーぞ」

食事を用意していてくれたらしい。リタはしぶしぶといった表情でそれを受け取ると、そそくさとテーブルに運び、もそもそと食べ始めた。ほどよい味付けがされた卵とハムがやわらかなパンに挟んである。リタの食事をいつもあらかた用意するレイヴンの料理の腕前はかなりのものだった。しかし今朝は美味しいサンドイッチにさえ複雑な気持ちが消えない。しかめ面をしながらリタはもくもくと食べ続けた。すると、その様子をじっと見ていたらしいレイヴンと目が合った。

「なによ」

不機嫌そうに言い放つ。レイヴンはなぜか心配そうな顔をしてこちらを見ていた。と思うと、そのまま近づいてきて、リタの頭に手を触れた。

「ひゃっ!?」

「リタっちベッドから落ちたんなら、頭打ったりしなかった?あ、ちょっとコブになってる……けど、これくらいなら大丈夫ね」

レイヴンは大きな手のひらでさするようにリタの頭をゆっくり撫でた。確かに起きてから少し頭が痛いとは思っていたが、それよりも今この状況にリタは慌てふためいていた。レイヴンに頭を撫でられたことなど(ほとんど払いのけていたとはいえ)今まで何回もあったはずなのに、なぜか鼓動がばくばくと高鳴り、顔がかあっと熱くなる。

「ん、リタっち?どしたの?」

「……なにやってんのよ!バカ!こんなことしてないで、さっさとギルド行きなさいよ!」

「え?え?なんでおっさん怒られてんの?」

「知らないわよ!」

リタはぶんぶんと頭を振って立ち上がり、早足で部屋に引っ込もうとした。

「ちょ、待ってってリタっち」

あわてたようにレイヴンがリタの腕をつい、と引っ張った。どかどかと逃げるように歩いていたリタはその力にバランスを崩し、ぐらりと倒れ込んだ。

「きゃっ……」

とさ、と受け止められる感触。危うく転びかけたリタの体はレイヴンに抱きとめられていた。広い胸と包み込むような腕。ふわりと漂う香りに、リタの頭はくらりと揺らいだ。

「ご、ごめんリタっち、そんな強く引っ張るつもりなかったんよ」

レイヴンはぱっとリタの体を離し、両手を振って弁解した。

「あ、うん……べつに……」

リタはぼうっとしたまま、ぎこちなく返すのがやっとだった。頭がやけに熱いと感じた。

「ん、じゃあそろそろ行くわね……ぱーっと片付けて帰ってくるわー」

しばらくぼんやりとしている間に、レイヴンはそう言って出かけていった。

ドアの閉まる音が聞こえて、リタはぺたりと座りこんだ。リタ以外誰もいない部屋は、広く静かだった。なぜ今になって、こんなにも慌ててしまうのだろう。それが妙に腹立たしくて、リタはゆらりと立ち上がり、まっすぐ自分の研究机に向かった。今はとにかく何も考えたくなかった。自分がレイヴンに対してどんなものを抱き始めたのか、今そんなことは知りたくなかった。

 

 

 

「はあ……」

集中できるわけがなかった。

本の文字を目で追っても頭の中には入らず、するりと滑るようにどこかに行ってしまう。そんなことをずっと繰り返しているものだから、書きつけているメモも内容がぐちゃぐちゃで、いつの間にかもう昼下がりだった。

「あーもう!」

リタは、ばん、と机を両手で思いきり叩き、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。どうももやもやする。何か飲んだらすっきりするだろうか、と思い台所に向かった。

以前は寝食忘れて研究を続けることなど普通だったが、睡眠も食事もよくとるようになった。冷たい水が喉をすべりおちる。苛立ちは少し収まったが、やはりもやもやとしたものは晴れない。そして頭からはレイヴンの顔がずっと離れない。

 

リタとレイヴンは一緒に暮らしてこそいるものの、二人の間にはかつて旅をともにした仲間としての関係しか存在しなかった。住む場所がなく、またいろいろな意味で知名度の高いリタに、当面の安全な住居として自分の家を提供してくれたのがレイヴンだった。それから成り行きで、一年以上も一緒に暮らし続けてきた。その間、関係に変化が起こることはなかった。あくまでレイヴンはリタを年の離れた仲間として扱い世話を焼いた。少なくともリタにはそういう風に見えた。リタも、レイヴンのことは心臓の件もあるが、大切なかつての仲間の一人であると思っていた。そういう認識がお互いの暗黙の了解のように横たわっていて、二人の間にはどこかいつも一定の距離があった。普通に会話もするし食事もよくともに食べるが、それは同居人としての枠内にとどまっていた。そのはずだった。

「……あれ?」

ふと、棚の隙間にあった酒瓶がなくなっているのに気づいた。レイヴンがこっそり買ってきて飲んでいたもので、リタが心臓に悪いと言って取り上げ、隠しておいたものだった。ここにないということは、きっと見つけ出して部屋に持っていったのだろう。

「まったく、あのおっさんは……」

リタは証拠を探すためレイヴンの部屋に向かった。レイヴンの部屋には、あまり足を踏み入れたことはなかった。別に入るなと言われていたわけではないが、なんとなく気が引けた。それも二人の間にあった微妙な空気の一端だった。

部屋には、ベッドと小さな机以外ほとんど何もなかった。こんなにさっぱりとしていただろうか、とリタは記憶の中にある部屋の光景を思い出そうとしたが、よく覚えてはいなかった。そのベッドの脇の死角に隠されるように、酒瓶がちょこんと置いてあった。

「帰ってきたら問いただしてやらなきゃ」

リタはきれいに整えられたベッドに腰かけ、改めて部屋の中をぐるりと見回した。机に置かれた仕事の書類と本はあるものの、そこにはあまり生活感というものが感じられなかった。ここにレイヴンがいた、という証が、それこそ酒瓶くらいしかこの部屋にはないように思われた。レイヴンはこの部屋に一人でいるとき、何をしていたのだろう。リタにはうまく想像できなかった。それくらい、リタは一緒に暮らしている相手のことをほとんど知らないのだと思い知った。

 

――もっと知りたいって、思ってるの?

内なる声がささやく。違う、あくまでリタが住まわせてもらっているだけの同居生活だ。「同居人」のことに必要以上に踏み込むのは良くない。

 

――単なる「同居人」なの?

長い旅から、またさらに時間を経て、リタにとってレイヴンはどういう存在なのか。それが、だんだん揺らぎ、変わり始めている。あの夢は、その現れなのだろうか。そのことに、きちんと気づくのはこわかった。

 

『おっさんの心臓診てくれて、ありがとうね』

心臓魔導器を調べているときに言われた一言がふっと耳に蘇る。そのどこか哀しげにも見える微笑みに感じた気持ちはなんだっただろう。

 

『ほら、リタっちの好物用意してあげたから、ちゃんと食べて寝てなさいな』

研究に熱中しすぎて倒れたときに、眠るまでずっとそばにいてくれた。あのときリタはぼうっとしていて忘れていたが、ずっと手を握ってくれていた。リタより少し温度の低かった手のひらを思い出す。

 

『リタっちがいてくれて、よかったよ』

 

次々と今まで見てきたレイヴンの姿や言葉が浮かんできて、リタの頭の中を埋めつくしていく。馬鹿みたいに笑った顔、頭を撫でる手、耳に残る心地よい声、窓の外を静かに眺めていた横顔、リタよりもずっと大きな背中。

 

考え込んでいるうちに、ごろりとベッドに寝転がっていた。レイヴンの眠っていたベッド。どこか安心する匂いがリタを包んだ。まぎれもないレイヴンのまとう香り。この家に残された、数少ないレイヴンの証。

「おっさん……」

横になった口からぽつりと言葉が漏れる。証をかき集めるようにシーツをきゅっとたぐり寄せる。もっと知りたいと思った。レイヴンのどんな顔も、どんな仕草も、どんな気持ちも。レイヴンの香りだけでこんなにも心を掻き立てられている自分に気がつき、リタはとうとう観念した。これは仲間としての親愛を超えてしまっているのだろうか。

――抱きしめてほしい。

はっきりと内なる自分が口にした。今朝のように、大きな手のひらで、力強い腕で、広い胸に引き寄せられて、いっぱいにしてほしい。それから、あの夢みたいに、熱い瞳で見つめてほしい。夢の中では直視できなかったあの瞳を、見てみたい。熱い感情と欲望は心の奥底からとめどなくあふれた。

「すき……なのかな……」

仲間として大切だということと、その欲望はあまりにもかけ離れすぎているように思えた。それでも、その先を求めたい。リタはその甘美な願いに頭を一杯にさせられているうちに、いつの間にか甘い波に沈むように意識を手放していた。

 

 

 

 

「あ……」

横たわるリタをふわりと甘やかな感覚が包みこんだ。覆いかぶさる大きな影は、レイヴンと同じ形をしていた。影はリタの体を優しく撫でていく。あたたかい胸に包まれて、こんなに幸せなことはないと、リタは身を震わせた。レイヴンがリタだけを抱きしめ、温もりを分け合っている。それがたまらなく嬉しく、じんわりと満たされた気持ちが広がる。もっとしっかりつかまえて、触れてほしい。そして触れたい。

――どうしてこんなにも欲しいと思うの?

「おっ、さん……レイヴン」

震える声で呼んでみた。するとゆらりと影が揺らぎ、顔が近づく気配がした。リタはとっさに目を閉じた。頬に冷たい手が添えられる。じわりと伝わるつめたさに肩を震わせ、リタはそっとうすく目を開けてみた。

 

 

 

 

「……え」

一瞬何が起きたかのか分からなかった。リタは自分の下にある確かなシーツの感触を感じとり、今までが夢の出来事だったのだとあっけなく理解した。心に残る甘い感覚があとひくように体は熱を持っていたが、頭はもう覚めてしまったのだと、だんだん落ち着きを取り戻していた。

しかし、なぜか、夢は覚めたというのに、レイヴンの顔がリタの眼前にあった。

「うわっ」

そう叫んでレイヴンはとっさにリタから離れた。リタも跳ねるように起き上がった。ためしに頬を軽くつねってみた。ちゃんと痛かった。

「おっさん……今……なにしようとしてたの」

ベッドの脇に呆然と立つレイヴンに問いかける。寝起きのせいか、かすれたような声しか出なかった。リタが眠っていた間に帰ってきたのだろうか。窓の外はほんのり薄暗い。目覚めたとき映った顔は、唇があわや触れあってしまいそうなほど近かった。頬に手も添えられていた。もしかして、夢と現実が交錯していたのかもしれない。でも、ついさっきの状況は、どう考えても。

「おっさ……」

「……やーだリタっちったら」

黙っていたレイヴンが一転、顔の前で手をひらひらと振りながら笑い出した。

「何勘違いしてるのよ、俺様がリタっちに変な気起こしてなんかするわけないでしょうよ。もしかして、変な夢でも見てた?」

からかうように告げられた。勘違い。頭にぴしゃりと冷たい感覚が走った。じわじわとその冷たさが下りてくる。変な夢。いったいどこからが夢だったのだろう。夢と現実は、こんなに違う。

「そう……夢よ……ばか、みたい……」

「え……?」

一瞬だけ浮き立った心も、その浅はかさも、すべて馬鹿みたいだと思った。夢はしょせん夢でしかない。いったいなにを期待していたというのか。レイヴンがリタを抱きしめ、あんなに熱い眼でまっすぐに見つめてくれるなんて、なんて都合のいい夢だったのだろう。

「……あたしに、あたしみたいなのにそんな気起こらないのなんてわかってるわよ……!単に一緒に暮らしてるだけで、それ以上でもそれ以下でもないって!あたしもずっとそう思ってたのに、でも」

一度涙とともに激情を吐きだせば、それはもう止まらなかった。

「あんたの夢ばっかり見るのよ!それで、ずっと頭の中いっぱいになって、あたし、ばかみたいじゃない……あんたが何とも思ってないことなんて、はじめっからわかってたわよ……!」

悔しくて、腹立たしくて、悲しくて、そして何に対してそう思っているのかも、もうわからなかった。ただ、涙がだくだくと次から次へ溢れ、唇に流れ落ちた。とても塩からい味がした。

「ばかっぽい、こんなの、ばかよ……」

レイヴンはリタが泣き叫ぶのを見て、しばらくそのまま魂を抜かれたように口をあけて突っ立っていた。リタのしゃくり上げる声だけがふたりきりの部屋に響く。

――こんな風に泣くつもりなんてなかったのに、本当に、ばかじゃないの。

必死に唇を噛んで涙を止めようとしたが、泣き声は唇のすき間から漏れ出し、止むことはなかった。一瞬でも期待してしまった。夢が覚めても、レイヴンがリタを求めてくれることを。いつから夢と現実の区別もつかなくなってしまったのだろう。以前なら、所詮夢は夢でしょ、となんだって割り切れていたと思うのに。

やがてぼうっと立っていたレイヴンは、リタの座るベッドにゆっくりと腰かけた。そして背中を向けたまま、気まずそうにやっと口を開いた。

「……ごめん……全部、嘘」

「……へ?」

リタは顔を覆っていた手を離し、ぱっとレイヴンの背中を見た。

「だから、さっき……リタっちの寝顔見てたらさ、気が付けばつい引き寄せられてて……あ、いや、なんにもしてないのよ!?」

「どっちなのよ!」

「いやあ……えーとつまり、変な気はすこーし起こしたけど、なにもしてません」

「……なにそれ」

リタが呆然と呟くと、レイヴンは困ったように頭を抱えて俯いた。

「ちがう、それも、嘘だ」

呻くような声だった。リタからはレイヴンの表情は見えない。

「……少しどころじゃない、おっさんも、リタっちの夢、見てた……。それも、何回も何回も」

「あたしの、夢……?」

「そう、でも、あんま考えないようにしてた。だけど、帰ってきたら、リタっちがここに寝てて、おっさんの名前、呼んでて、それで気がつけば……ごめん」

夢の中で名前を呼んだのが、実際に口を開いて寝言を言っていたなんて思わなかった。本当にレイヴンがリタに“そういう衝動”を抱き、そしてレイヴンも同じようにリタの夢を何度も見ていたということに、リタは驚きを隠せなかった。同じような夢だったのだろうか、しかしそんなことは口に出して聞けなかった。それを想像すると、首から上が燃え上がったように熱くなりそうだった。

「……なんで、さっきごまかそうとしたのよ」

代わりにそう問いただした。レイヴンは背中を向けてまだ頭を抱えていた。リタのその言葉にぴくりと反応したが、姿勢は変えないままだった。

「いや、そんなリタっちに変な気起こしたとか言えないし、ついごまかしちゃったというか……」

「結局言ったじゃないの、それで、なんでまだそんなに落ち込んでんのよ」

「そりゃ……危うくリタっちが寝てるうちになんかしちゃうとこだったんだから……自己嫌悪にも陥るでしょうよ」

「すれば、いいじゃない」

「……へっ?」

「あんたがしたいこと、すればいいじゃない!なんでごまかしたり自己嫌悪したりするのよ、ばかじゃないの!?」

「リタっち……したいことすればいいって……そんなね」

「あんたのしたいこと、してよ、あたしに」

リタは服の裾を小さくつかんで、途切れ途切れに言った。下を向いて、裾をつかむ震える手に気づかれないようぎゅっと握りしめた。そういえば隠そうとしたり自己嫌悪していたのは自分も同じだった、と気づいた。だからこそ、その気持ちを隠してほしくないと思った。

「……いいの?」

レイヴンが、振り向いてリタの裾をつかんでいた手にそっと自分の手を重ねた。

「おっさんなんかに、そういうことされてもいいの?」

まっすぐに見つめられた。ほとんど見たこともないような、とても真剣な顔をして、レイヴンは問いかけた。

「……おっさんがいいなら、いい」

リタがうつむきそう答えると、レイヴンは重ねていた手でリタの腕をそっと引き、優しく抱きとめた。

「いつの間に、そんな文句覚えちゃったかねえ」

困ったように笑う声が胸から直接響いた。この温もりは、たしかにずっと求めていたものだ。リタは手を広い胸において、確かめるようにこてんと頭を傾けた。

「そんなこと、ほいほい言っちゃだめでしょ、リタっちったら」

なだめるように、背中をぽんぽんと叩く。

「他の男なら簡単にひどい目にあわされちゃうんだから、そういうことしてたらさあ」

「……おっさんは?」

「え?」

「ほかの誰かじゃなくて、おっさんは、どうなの?」

リタがそう言うと、レイヴンは視線をさ迷わせ、じっと押し黙った。

「おっさんの見た夢がどんなだったかは知らないけど、あたしは、おっさんに……抱きしめられるような夢、ばっかり見てたわ、なんてばかみたいな夢だって思ったけど」

くっつけた頭に重い心音が響く。あたたかな胸。この胸の奥にもっと潜っていけたなら。

「でもあたし……ずっと、ずっと」

それ以上言葉が出てこない。いざちゃんと言おうとしようとすると、喉がつっかえたように肝心なことが喋れない。いま、抱きしめられて嬉しい、それだけのことをちゃんと口にできない。

「……最近、今朝も、様子が変だったのはそういうことなのね」

レイヴンの言葉にリタはなにも言えないままこくりと頭を下げた。そのままレイヴンはしばらく背中をやさしく撫ぜていたが、ふいにゆっくりと体を引き離した。

「リタっちはさ、夢見てちょっと混乱してるだけよ。だから、おっさんなんかに対してそんなこと思ったりするのよ。しばらくして夢も見なくなったら、今の気持ちもおさまると思うし、ね」

子どもをなだめるような口調に聞こえた。そうしてベッドから立ち上がろうとする。リタはとっさにその袖をぐいとつかんで引き戻した。

「おわっ」

「待ちなさいよ、なにまたごまかしてどっか行こうとしてんのよ」

「いや、ごまかしてなんか……」

「あたしは、あんたのしたいことはなにって聞いてんのよ。それに……あんたも、あたしの夢見てたって、さっき、言ったじゃない」

今どうしても引きとめないと、もう後ではなかったことにされてしまうとリタは直感的に思った。レイヴンは、今度こそ困ったというように目を逸らし、頭をかいた。

「あのさ、リタっち、おっさんに変な気起こされたのよ?嫌じゃないの?」

「……あたしはいいって、さっき言ったでしょ」

「リタっちはまだこんなに若いんだからさ……本当に好きな奴のためにいろいろ、とっとかなくちゃなんないでしょ」

「そんなの……」

もうレイヴン以外に現れない。そう言おうとして、また声が詰まった。なにもわかっていないのかもしれない。レイヴンの言うとおり、リタの未来がこの先どうなるかなんて全く分からない。それでも、今たしかに胸の中にある想いを気の迷いだなんて言ってほしくはなかった。リタがレイヴンを求める気持ちは、最初から最後までリタ自身のものだ。思わずレイヴンのシャツをくしゃりと掴むと、押し寄せる感情にじわりと涙がにじみ視界がうるむ。

「……ほんと……なのに」

ぐいと肩を引き寄せられた。頬を大きな手のひらで包まれて、気がつけば唇が触れあっていた。少し温い感触。突然のことにリタは頭がついていかなかったが、ただふれあった場所がとても熱いと思った。しっかりと肩を掴む力がじわりと伝わる。

「……リタ」

唇をすこし離し、低い声が耳を打つ。あの夢のような、熱く揺らぐ瞳がリタをまっすぐに射抜いた。

「ごめん」

謝罪の言葉を口にしながら、レイヴンは再びリタに唇を寄せた。

 

 

 

 

 

これは夢なんだろうか、と思った。もし夢なら、ずっと覚めないでほしいと思った。

「ん、っ」

唇を何度も重ねながらベッドに倒れこむ。唇の生々しい感触は、きっと夢じゃない、と思わせた。温もりに縫いとめられるように、レイヴンの腕と体で組み敷かれる。舌を絡ませるような、初めて交わされる深い口づけに、何もかも唇から奪われていくような気がした。すべてを奪い取るような激しさを持ちながら、それでも頬や髪を撫でる手は羽のように優しかった。

「ん、っは、はあっ」

やっと呼吸ができて、リタは酸素を求めて懸命に息を吸おうとした。口の端からつい、と唾液がこぼれる。それをレイヴンがすかさず舐めとり、リタはまたそれに身じろいで顔をそむけた。

「……怖い?」

真上からそう問われた。陰になったレイヴンの顔はまるで知らないひとのように見えた。実際にリタは少しの恐怖を感じてはいた。この先にはいったい何があるのか。もしかしたら自分はとんでもないところに行こうとしているのではないか、という漠然とした恐怖。

レイヴンの手がリタの髪をゆっくりと梳かし、そのまま指先が頬に触れた。その手がかすかに震えていることに、リタは気が付いた。リタは自分の手を両手とも頬のあたりに持っていき、震える手をそっと包んだ。

「あんたも、でしょ……」

「……も?」

「あたしも、こわいけど」

今までこんな風に静かに話したことがあっただろうか。完全にレイヴンの腕の中に閉じ込められ、自由に身動きもとれないというのに、リタはこの空間の中で話せることをなぜか嬉しいと思った。

「……ほんとに嫌じゃない?こんなことされて」

「嫌だったら、とっくにぶっとばしてるわよ」

レイヴンはリタの手を取り、そっと手の甲に唇をあてた。恭しい仕草だった。

「そうだったね、リタっちは」

手をつかんだまま、ふっと微笑んだ。ずっと辛気臭い顔をしてやっと笑ったな、とリタもかるく頬を緩ませた。

そのまま、まだ涙のあとが残る頬やまぶたにそっと口づけを繰り返す。時折、ごめん、と呟いた。レイヴンは泣かせたことを詫びるように、その仕草をしばらく続けた。

 

レイヴンの手が黒い頭の後ろに回ったかと思うと、ぱさりと髪が解けて端正な顔の両側にはらっと落ちた。それから着ていた羽織をとさりと脱ぎおとした。もともと陰になっていたレイヴンの顔が髪に隠されてますます陰の色を濃くする。リタが思わずそこに向かって手を伸ばすと、レイヴンはその手をシーツに縫いとめ、首のあたりに顔を埋めた。

「あっ、ん、くっ」

首筋を唇でなぞられる。反対側も指先でそっとなぞられ、ぞくっとした感覚が襲ってきた。耳から首筋にかけて何度も唇を落とし、つうっと舌で舐め下ろされる。手は首から鎖骨をたどり胸のあたりに触れる。シャツ越しにゆるゆると膨らみを弄ばれ、リタはびくりと体を震わせた。

「リタっち、下着は、またつけてないの?」

「や、あっ……またって、なによ、だって今日は、ずっと家にいたから……」

「……はあ、客でも来たらどうするつもりだったのよ……それに、いつもいつも無防備な格好でうろうろしちゃってさ……ほんとに」

呆れ顔でため息をつく。確かにつけないほうが楽だからといって、レイヴンの前でもそのまま過ごしていたのはよくなかったかもしれない。しかしリタはそれをレイヴンがいつも気にしていたなんて思いもしなかった。

「あ、あたしが、適当な格好でいたら、気になるの?」

「そりゃねえ、今まで何回危なかったか……ほんと、気をつけなきゃだめよ」

シャツをゆっくりとまくり上げながら、レイヴンの手は肌を撫で上げる。ラフなシャツ一枚しか着ていなかったため、その薄い布をめくれば簡単に素肌に触れられてしまう。

「何度触りたいと思ったか」

ぼそりと呟き、お腹のあたりにそっと口づける。その間にシャツは首元までずり上げられていた。

「や、こんなの、全部見えちゃうじゃ、ない」

「大丈夫よ、あ、シャツ脱いじゃったほうがいいか」

手を万歳させられたまま脱がされた。ショート丈の部屋着の下も脱がされてしまった。まるで子どもの着替えだ。素肌をさらすこととは別にとても恥ずかしくなった。

「ん、リタっち本当に肌白いね、腕もこんなに細いし、もっと食べなくちゃ」

腕を持ち上げ、手首から脇にかけて唇をすべらせる。レイヴンの瞳が、じっとリタの下着一枚になった身体を見つめている。その視線に耐えられずリタはくるりと横を向いた。

「こんなの見て、あんた楽しいの」

「こんなの、ってねえ」

「色気もなにも、あったもんじゃないでしょ……」

横向きのまま体を丸めるリタに、レイヴンは後ろから腕を回した。

「そうねえ、まあ、さんざんからかったことは、悪かったと思ってるわ」

「なによ、ぺたんこだの、お子様だの、何回言ったと思ってるのよ」

「あちゃあ……本当ごめんって」

不満を口に出すリタに謝りながらレイヴンは顔をのぞきこんでくる。それにつられて顔を動かし見つめあうと、仰向けの姿勢に戻されてしまった。リタの目を見つめたまま、体の稜線を指でなぞる。

「でも、今は本当に綺麗だって、そう思ってる」

「う、うそ」

「さっきも、ずっと触りたかったって言ったでしょ」

触りたかった、再びはっきり口にされたその言葉に、頭がくらくらとして何も言えなくなる。そう思ってほしい、自分を求めてほしい、確かにリタは夢の中でそれを望んでいたのだから。

直接胸に触れられたとき体が跳ねた。そのままやわやわと触れながら、唇も胸のあたりを動き回る。胸の先を摘まれると声が飛び出た。あられもない声が自分の口から出るのを聞いて、リタは恥ずかしさから息を詰めた。するとそれに気づいたレイヴンが喉をくすぐってくる。

「んっ、や、やめなさいよっ」

「息こらえちゃだめでしょ、顔真っ赤になるわよ。我慢しなくていいから、体の力抜いてて」

そっと指で唇を開くようにされて、同時に胸をさわる手がまた動き出す。形を楽しむようにもてあそばれたかと思うと先端を撫でたり胸の線をくるりとなぞったり、いろいろな手つきでレイヴンはリタの胸を愛した。

「あっ、ん、ふっ……やあ……っ!」

唇で胸の先を食まれた。じんじんと伝わる痺れたような感覚にもリタは耐えがたいものを感じたが、ここから見下ろすとなんて直視しがたい光景なのだろう、と思った。口に含んだまま舌は包み込むようにぬるりと動く。もう片方も指や手で触られ続けたままだ。レイヴンがリタの胸に顔を埋め、こんな風に触れているなんて信じられなかった。髪の隙間に熱を帯びた目が見え隠れする。色気がないとずっと言ってきた身体に熱く溺れるレイヴンを見て、リタはかすかな幸福感が胸に満ちるのを感じた。空いたレイヴンの片手は、快感に震えるリタの手をぎゅっと握っている。夢の中ではただ甘い波に身をひたしているだけだったのに、現実に与えられるその感覚は濁流のようにリタを飲みこんだ。

するりと手が下のほうにすべり、太ももをやわらかく撫で上げた。ぞわりと肌があわ立つようだった。撫で上げる手は足の間にたどり着き、レイヴンは下着越しにその場所に触れた。

「やっ……そこ……」

「ここ、つらい?」

リタが足をぴくぴくと左右に動かすのを見て、レイヴンがそう問う。つらいかと聞かれても、どの状態がつらいということなのかリタにはわからなかった。ただ足の間がうずくようにさっきから気になってたまらなかった。

戸惑いをこめた目で見つめると、レイヴンは布の上からつい、となぞるように指を動かした。びくびくと震える体に、リタはさらに戸惑った。どんどん遠くへ行ってしまっているような、未知の領域への不安がよぎる。往復をくりかえす指の感触に頭をふるふると振った。

レイヴンは目を潤ませたリタにそっと口づけ、落ち着かせるように肩に触れた。不安と戸惑いを拭うように唇を触れあわせる。そうしているうちにいつの間にかリタにたったひとつ残された下着も取り払われていた。完全になにも身につけていない状態になる。まだ服を身に着けたままのレイヴンのシャツを指先で引っぱってみると、困ったように笑いながらレイヴンも服をぱさりと脱ぎ捨てた。鍛え上げられた身体にぼんやりと赤く光る心臓があらわになる。

「なにもかも人に見せたことなんてなかったから、なんか新鮮だわ」

そう言いながら胸の魔導器に触れる。心臓魔導器を持つレイヴンは、今までその秘密を抱える肌を晒すことはできなかったのだろう。

「……ってことは、あたしが、最初に見たひと、なの?」

「そうよ、リタっち」

レイヴンがこれまでどんな人と関係を重ねてきたにしろ、レイヴンのすべてを見ることができた最初の女性になれた。そのことがとても嬉しく、リタの胸は熱いものでいっぱいになる。レイヴンと肌を重ねた他のどんな人に届かなかったとしても、それだけで十分だった。

 

抱きしめあいながら、また唇を重ねる。硬く暖かい魔導器がリタの体に当たり、それは独特の感触を持っていた。

「……痛くない?」

「ううん……」

心配そうに問いかけられたが、リタが首を振るとほっとしたように眉を下げる。あちこちに口づけを落としながら胸から脇腹をやさしく撫で、その手はだんだんと下に降りていく。先ほどまで下着に覆われていた場所に、レイヴンはじかに触れた。

「や、あっ……」

ぬるっと指が泳ぐ感触がした。レイヴンはそのぬめりを塗り広げるように指を動かしていく。時折湿った音が聞こえ、リタはぎゅっと目をつむって羞恥に耐えた。

「リタっち、けっこう感じてた?わりと溢れててびっくりよ」

「いや、そんなの……っ」

顔をそむけるリタに、レイヴンは目を細めてそのまま指の動きを繰り返す。その指が一点に触れたときリタの体が大きく揺れた。

「あ、あっ!」

その突起のような場所を触れられると、痺れが体中を駆け抜けて頭が溶かされてしまうような気がした。指はくるくるとそこを撫で、その動きにびくびくとリタは快感にうち震えた。

「ここ感じるでしょ、もっとよくしてあげるから」

レイヴンは自分の体をリタの足の間にすべりこませたかと思うと、足を持ちあげ顔を埋めた。舌がぬるぬるとうごめき、溢れたものをすするような音まで聞こえる。そんな場所を舐められるなんて思いもせず、思わず腰が引けたがレイヴンにしっかりと押さえ込まれる。足をはしたなく開かされて、その間にレイヴンの頭が埋まっている。その光景を目に映すだけで恥ずかしさにそのまま死んでしまいそうだった。突起を舌でつつかれて、レイヴンに掴まれた足がぶるっと震える。くるむように舌で包み込んだり舐め上げたりされて、リタは自分から意識と呼べるものがびりびりと容赦なく引き剥がされていくような感覚を覚えた。

「痛かったら、言って」

レイヴンが指を差し込んでくる。骨ばった太い指がリタの体内で圧迫感をともなって動く。そのことがとても耐えがたい恥ずかしさとなってリタを襲った。くいくいと様々に動く指に、リタは弓を引くレイヴンのたくましい手を思い出し、かあっと頭に血がのぼるのを感じた。

身を焦がすような恥ずかしさもあいまって、どんどんと体が熱くなっていく。動き続ける指と舌に思考が端からぐずぐずに溶けていく。こんな風になにも考えられないようなことが今まであっただろうか。かつて仲間としてずっと一緒にいたあのレイヴンに体を好きにされて激しい波を与え続けられ、もう自分の中から湧いてくるのはもっと触れられたいという思いしかなかった。

――このままされたら、あたし、どうなってしまうの?

そんな一抹の恐怖に襲われる。自分という存在がどろどろの液体のように形をなさなくなって、世界との境界があやふやになっていく。どこにいるのか、どこにいくのかまったくつかめない。

「あ、やっ……んあっ、ああっ……やあああああっ」

レイヴンの指がくっと曲がり、舌と歯が同時に押しつけられたとき、リタのありとあらゆる思考と感覚ははじけ飛んだ。喉から抑えることのできない声がほとばしる。脳の中からすべてを剥ぎとられ空っぽにされてしまったみたいに、ぼんやりとしてなにも考えることができない。リタは真っ白な世界に浮いたような気分のまま肩で息を繰り返した。

「はあっ、はっ、んっ、こほっ、けほっ」

自分の速い息と目まぐるしい快感の余韻に呑まれて、呼吸が乱れ思わず咳き込む。それを見たレイヴンが背中をさすり、落ち着かせようとする。そのやさしい手つきに深い慈しみのようなものを感じ取り、リタの心はじんと震えた。

「……あ」

「どうしたの」

「……夢の中でも、こうだったと思って……」

リタが小さな声で気恥ずかしそうに言うと、レイヴンはふっと笑って軽く口づけを落とした。

「リタっち、わりとやばい夢見てたの?どこまで行ってたのよ」

「どっ……どこまでって、そんなのわかんないわよ、ただ、甘くて、ふわふわした感じだったってことしか……」

夢はただとろりと甘い香りがしたが、実際にはそんなものを遥かに超えていた。恥じらって抵抗する力もすべて激しい波に奪い去られてしまった。思考回路を吹き飛ばすような感覚を与えつづけながら、しかしレイヴンは壊れものを扱うようにずっと優しかった。

「あたし……おっさんの夢の中ではどんなだったの……?」

ぼんやりとした思考にまかせて聞いてみると、レイヴンの顔に困惑が浮かびそっと逸れる。

「ちょっとそれは……言えないわ」

「あたしが、出てきたんでしょ?」

「まあ、そうだけどさ……」

「なによ、はっきりしないわね……」

顔をしかめて唇をとがらせてみた。せっかくだから聞いてみたかったが、なぜかレイヴンは答えるのを渋った。

「同じような夢……だったの?」

「……だめだ」

リタの質問に答えずに低い声で呟くと、レイヴンは突然激しく口づけてきた。手は体中を這い回り、リタの体はまたぴくぴくと反応しだす。

「んんっ……なんで、急に……」

リタは深い口づけの合間に、戸惑いを漏らす。息を吸うのすら難しいほど繰り返される接吻に必死に応える。

「……リタっちのこと、滅茶苦茶にしてた」

「え……」

「リタっちが望むなら、触れられるだけで十分だと思ったけど、もう、無理だ」

それが夢の話だと気づくのに少し時間がかかった。突然ふたたび与えられた感覚にのまれていたせいもあった。乱れた息を吐くレイヴンの唇がリタの体をなぞっていく。深く考える余裕はなかった。凍えるような色の瞳が熱く光りリタを見つめる。これが本当にレイヴンのしたかったことで、本当に求められるということなのだとリタは理解した。

 

 

名前を呼ばれながら熱い感覚に溺れる。レイヴンの思い描いていた自分はどんな風だっただろうか、今こうしている自分と同じような感じだったのだろうか、そのことをちらりと想像しただけで、ますます熱さはうねりを増して襲いかかる。今までの壊れものを扱うような優しさは、まだずっと激情に耐えていたのだろう。余裕を失ったレイヴンはこんな風に求めるのだと、リタは押し寄せる濁流のなかで恐怖と恍惚感にふるえた。

「リタ……ごめん」

何回目の謝罪だろう、こらえるような声でささやかれたかと思うと、下腹部に異物感をおぼえた。揺らぐ視界にそそり立つレイヴン自身が映る。あれがこれから自分の中に、と考えただけで思わず身震いした。それでも、一応の覚悟はできていた。はずだった。

あてがわれた瞬間身が縮んだ。突き入れられることは、まさに攻撃だった。たっぷりと滑りを絡ませてはいるものの、このまま押し入られたなら壊されると思った。

「あ、うあ……っ、んうっ……」

「力、抜いて……」

吐息まじりで苦しげに声をかけてくる。眉を寄せ苦痛に歪んだようなレイヴンの顔を見て、リタは必死に唇を噛んだ。引き裂かれるような痛みがじわじわと容赦なく広がる。レイヴンがずん、と入ってくるたび、とてつもない圧迫感がリタを苦しめる。

「これ噛んで……こっちも、いくら引っ掻いてもいいから」

噛みしめていた唇にごつごつした指をさしこまれる。シーツをぐしゃぐしゃにつかみ爪が食い込んでいた手のひらも持ち上げて、レイヴンの広い背中に持っていく。リタは指の腹を背中に押しつけ、それで痛みに耐えようとしたが、さらに押し広げられる感覚に思わず爪を立ててしまった。咥えさせられた指も少し噛んでしまう。

「痛い……?」

ぽたぽたと零れ落ちる汗が腹部に落ちる。頬に張り付いた黒い髪が色気をはらんで見えた。リタは問いに少し首を左右に動かすのが精一杯だった。レイヴンの体の一部が自分の体内に息づいているということが、とても不思議で信じられない思いだった。そしてリタがその熱を受け入れていること自体にも。

やがてゆっくりと熱は動きだし、だんだんとその速さを増していく。リタはレイヴンの背中に回した手にぎゅっと力をこめた。レイヴンの瞳がリタをとらえ、熱っぽい視線を向けながら激しい息を吐く。その瞳で見つめられるだけでよかった。たとえどんな痛みで壊されたとしても、レイヴンがリタだけを求めた先にあるものなら、それでもいいと思えた。

「あっ……ああ、っく、レイ、ヴン……」

普段は呼ばない、リタを蹂躙する男の名前。その名前がこれまでとは違った響きでリタの口から発される。ずっと気づけずにいたけれど、愛おしくて欲しくてたまらなかったひとの名前。

いっそう動きが激しくなる。触れてほしい、触れられたいとリタは思っていたが、その願いの先にあるのはこんなにも荒々しく激しいものなのだと知った。レイヴンがあんなに迷いを見せていた訳が、ようやく分かったような気がした。

「リタ……くっ、リタ……」

それでも後悔なんていうものは欠片もなかった。レイヴンが名前を呼ぶ声をもっと聞きたいと思った。揺さぶられる痛みもじわりといとおしくなってくる。自分がそんなことを思うときが来るなんて想像もしなかった。

「あ、っく……すき……っ」

なにも考えることなく口から声がこぼれ落ちていた。鋭い痛みと鈍い熱が突き抜けるように体中を走ったあと、炎がふっと消えるようにリタの意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

ぱっと目を開けたとき、薄闇に広がる茶色い天井が見えた。そして次に体に回されている太い腕に気がついた。そっと横を向くと、レイヴンが静かに眠っていた。明滅する魔導器が薄闇に浮かびあがる。

レイヴンの寝顔はしっとりと汗ばみ疲れの色を帯びていたが、寝息は穏やかなものだった。足を少しでも動かすとぴりりと痛みが走った。寝返りをうつのも億劫なだるさと、体に大きな穴を開けられたような感覚が残っていた。あんなものを突き入れられたのだから当然だ、とまで考えてやめた。はっきり思い出すと震えあがるほど恥ずかしかった。

「リタ……っち……」

「え?」

呼ばれたのかと思い返事をしたが、レイヴンの目はまだ閉じられたままだった。寝言じゃない、と小さくこぼす。その寝顔におずおずと触れてみた。少しかさついた肌が汗で湿っている。そこそこに長い睫毛と、鼻筋の通ったきれいな顔のくぼみ、うすい唇を指先でそっと確かめる。こんなに近くでまじまじとレイヴンの顔を観察したのは初めてだった。昨日まで、いや今朝までただの仲間であり同居人であったはずなのに、あっという間にその壁は崩されてしまった。リタが崩したのだ。ずっと仲間としての関係を築きつづけていたはずだったレイヴンに抱かれたのだという事実を胸のなかでくりかえしてみると、まるでそれは現実感がなかった。でもこれはもう夢ではないのだ。隣に眠るレイヴンの存在と、体にありありと残る痛みがそれを証明している。

「リタ……」

また名前を呼ばれる。寝言かと思ったが、レイヴンは顔に触れていたリタの手を急につかみ、その手のひらに唇を押しつけた。突然動きを見せたレイヴンにただ驚いていると、レイヴンの瞳がぱち、と開いた。

「あれ……リタっち……?」

レイヴンはぼんやりと視線をさまよわせ、リタの手をつかんだ自分の手、それから何も身につけていないリタの身体を交互に見た。そしてはたりとリタの顔を見つめ、ぽかんとした表情がだんだんと青ざめていく。

「うああ……そうか、そうだ……」

顔に手を当てぶつぶつとなにごとか口にする。リタはその動作の意味がまったくわからず、訝しげに首をかしげた。

「起きるなり、なんなのよ」

「いや……ほんと……ごめん」

「あんた、今日何回謝るつもりなのよ」

「そうね、うん……ごめん」

「もしかして、今もあたしの夢見てたの?」

もしやと思ってリタが聞いてみると、レイヴンはしまった、とばつの悪そうな顔をして視線を逸らした。

「もしかして、さっきのことも、夢だとか思ってたの」

「あ……いや……うん、リタっちの顔見たら、夢じゃないって思い出したわ……」

浅黒い手で目を覆い、まるで罪を懺悔するような声を出す。なぜそんなに辛そうなのかわからずに、リタは一瞬顔をしかめたが、ふいに不安が胸をよぎる。仲間としての一線を超えないように踏みとどまっていたレイヴンに、本音をぶちまけ枷を外させたのはリタだった。結果的にレイヴンが踏み越えたとしても、ほんの少し罪悪感のようなものはくすぶっていた。

「おっさん……夢じゃなくて、後悔、してる……?」

リタが恐る恐る顔をのぞきこむと、レイヴンは目を覆っていた手をゆっくりとどけて首を振った。

「いいや、そうじゃなくて……リタっちがここにいるってのが、なんだか現実感なくて、とても夢じゃないって、信じられなかったから」

リタの肩に手を置き、眉を下げた情けない顔でへらっとさみしげに笑う。

「リタっちを滅茶苦茶にする夢とか見ちゃうようなさ、そんなんだったのに、夢じゃなくて本当にリタっちのこと抱いたんだって……」

リタは黙ってレイヴンの言葉を聞いていた。ぼんやりと陰った瞳でレイヴンは視線を宙に漂わせている。夢が夢だとそのときはわからないように、今ここにいることだって本当の現実だという証拠はない。リタがそう信じているだけだ。証を求めるように手を伸ばしレイヴンの胸の中に体を寄せる。

「あたしも信じられないって思うわ、こんな風に抱きしめてもらえるなんて、夢じゃなきゃ絶対ありえないって。でも、あたしは夢じゃなくてよかった、って思ってる……おっさんは……?」

胸のなかからレイヴンの顔を見上げる。前髪のあたりにそっと唇がふれた。

「うん……でも、途中からけっこう理性飛んでて、痛かったでしょ……?」

「痛かったのは痛かったけど……でも、あたしは後悔なんてしてないわ、すこしも」

ぎゅうと背中に力がこもる。いつも飄々としてぺらぺらとよく喋る男が、何度も謝って震えた手でこわがって、こんなときは黙って抱きしめるだけなのだと、リタは知るのだった。リタとて始終たくさんの恐れや不安は渦巻いていた。けれど、レイヴンのそんな顔をいくつも見て、いつの間にかそんな気持ちは凪ぐように落ち着いていた。

 

「……ねえ、目が覚めたら、なにごともなかったみたいに、あんたへらっと笑ってるんじゃないでしょうね」

「そんなことないって、ちゃんと覚えてるし、なかったことにもしないよ」

「じゃあ、夢じゃない、って言ってよ」

「……夢じゃないよ」

「もう一回」

「夢じゃない、ここにいるから」

「もう、一回」

なにか証が欲しいと思った。今がリタの見ている夢じゃなく、本当にレイヴンがリタの隣にいるのだということ。このまま眠って目が覚めたあとも、どちらが現実かわかるように。

「リタっち」

頭を手で引き寄せられ、そっと口づけられた。ちゅ、ちゅ、とやさしく唇がふれる合間に、目を合わせてささやかれた。

「好き、ほんとに、好きだから」

レイヴンが首筋にそっと唇を落としたかと思うと、そこにちくりと痛みが走った。その場所を指でなぞられる。

「ん、なに、したの……?」

「しるし、付けたの。これなら、ちゃんと夢じゃないって分かるかなって」

レイヴンはようやく安心したようにやわらかく微笑んだ。リタが安心させてと言った側なのに、不思議なものだと思い、つられて頬を緩ませた。

「そうね、ちゃんと痛いもの」

「痛いって、リタっち、そういえば体大丈夫?」

「平気よ」

体中痛かった。突き抜けるような痛みもはっきりと残ったままだった。それも、ちゃんと証として持っておこうと、リタは自分の手をきゅっと握り丸めた。

 

 

レイヴンの汗ばんだ胸の感触が心地よい。リタっち、と名前を呼びながら、ゆっくりと頭から背中を撫でる手の動きが小さくなっていく。かすかな明滅を繰り返す魔導器に触れて、リタは目が覚めたら一番に検診をしよう、と思った。少し困ったようなレイヴンの顔を見ながら、好きよ、とでも言ってやろうと思った。


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