変わらない、と嘘をついて

レイヴンとシュヴァーンについて真剣に考えてみた結果。

本編と外伝小説「虚空の仮面」準拠ですが、個人の解釈がかなり入っています。

 

ナチュラル同棲です。しかし日は浅いのでそこまで深い関係ではない、というつもり。

 


リタは悩んでいた。しばらく前からソファのそばをうろうろと行き来している。いつまでこんなことをしているのだろう。もうあまり時間がない。悩み考えるその顔は少し赤く染まっている。

 

 

今日は街で、久しぶりに会ったエステルやジュディス、パティに見立られた服を言われるがまま着せられてしまった。三人とも口々に「レイヴンにも見せてあげてください!」「ふふ、おじさまどんな顔するかしらね」「リタ姐の変わりように腰をぬかすかもしれんの」などと言うものだから、つい乗せられてそのまま帰宅してしまった。家に帰りついて、おそるおそる玄関のドアを開けると、レイヴンはいなかった。一瞬ほっとして部屋の中に入ると、水音が聞こえた。どうやら入浴中のようだった。

そこでリタは迷っていた。レイヴンが出てくる前に着替えるか、着替えないか。リタの中にはレイヴンにこの服を見せたいという気持ちが少なからずあったが、自分の柄ではないような服をレイヴンに見せるなんて、と逃げたいような気持ちとせめぎあっていた。

そうこうしている間にどんどん時間は過ぎていく。リタは決心して着替えることに決めた。なりゆきでこの家に住み始めてまだ少し、やっぱりまだ恥ずかしい。脱ごうとして服に手をかけたが、着るときはエステル達に着せてもらったために、脱ぎ方がさっぱりわからなかった。首も腕も生地がぴったりとしていて、シャツなどのように脱ぐわけにはいかない。リタはあちこち服をひっぱってみていろいろと試行錯誤してみたが、やっぱりなにもわからなかった。すると、そんなことをしていた間に、がちゃり、とドアの開く音がする。

「リタっち、帰ってたのね……あれ……」

風呂に続くドアが開いて、少し湿気が流れこむ。レイヴンは案の定リタの姿を見てぽかんと口を開けていた。濡れた髪をそのまま後ろで縛っており、肩からタオルをかけている。

「ちょ、ちょっと!いきなり出てこないでよ!」

叫びながら反射的にソファの陰に隠れる。見てほしかったんじゃないのか、と自分で思ったが、そんなことはお構いなしに口から言葉は飛び出る。

「リタっち……どうしたのその服?」

「エステルとかに着せられただけよ……今から早く着替えようと思ってたところなんだから!」

必死に言い訳をしながらリタはレイヴンの脇を通り抜けて風呂場へ駆け込もうとした。その腕を、レイヴンはぱっとつかんで引きとめた。

「な、なに」

「いや、着替える前にもうちょっとよく見せてよ、リタっちのそんな姿めったに見られるもんじゃないし」

「見せてよって……なんでこんなもん見たいのよ、はなしてよ」

リタはじたばたと暴れながら、もう片方の腕でなんとか服を隠そうとした。そんな様子にレイヴンは首をかしげ、困ったように笑ってみせた。リタの抵抗にはまったくこたえていないようだ。

「そりゃね……うーん、とりあえずさ、リタっち、自分の姿、もっかい鏡でちゃんと見てみなよ」

そのまま肩に手を置かれ、ほらほらー、と鏡の前まで連れていかれる。居間の壁に備えつけられた全身鏡はもともとこの家にあったものだったが、リタはほとんど使うことがなかった。そのため無用の長物になっていたものだったが、それはちゃんときれいにぴかぴかと光っていた。レイヴンが律儀に磨いていたのだろうか、とリタは思った。

 

「ほい、どう?」

鏡の前に立たされて、リタはしぶしぶと目の前の自分を見つめた。エステル達に着せてもらった服はワンピースのような形で、ふわふわとしたレースが裾を飾っている。色はリタの普段着ている服より薄い赤、薄紅色で、上から白い短めのポンチョが合わせられていた。服は素直にかわいらしいものだと思えたが、それを着ているのが自分だということに、どうしても違和感がぬぐえなかった。

「リタっち自分のこと鏡でちゃんと見たことないんじゃないの?いつもの様子みてるとさ」

確かにリタはいつも身支度をするとき鏡もろくに見ず適当にすませてしまう癖があった。しかし、こうして自分の姿をじっと見るのはやはり恥ずかしいものがある。それに、こんな可愛らしい服を着ている鏡の中の自分は、なんとなく別人のようにも思えてしまう。しかも後ろに立っているこの男にも、結局しっかり見られてしまっていた。

「やっぱり……こんな服、あたしには似合わないわよ」

「なんでよ、そんなことないって」

「それに、なんか落ち着かないのよ、自分じゃないって感じがして」

リタはしきりに身じろぎして、見た目にも落ち着きのなさをみせた。

「まあたしかに、女の子は服や髪型を変えると別人みたいになったりするよねえ」

レイヴンは、リタが鏡の前でずっとしかめ面をしているのに、思わず苦笑する。そんな様子を見て、ますますリタの眉間のしわは深くなる。

そのときふいに、ぱさり、と音がして、リタはなにも考えずぱっと顔を上げた。

「あ……」

リタは自分の目が丸くなって見開かれているのを鏡の中に見た。リタの後ろに立っていたレイヴンも同じような顔をしていた。二人とも、丸い目をして同じ場所をみていた。

風呂上がりでもちゃんと縛られていたレイヴンの髪が、いつのまにか、ほどけていた。久しぶりに見た、髪をおろしているレイヴンの姿。リタはレイヴンがわざと自分に見せないようにしていることに薄々気づいていた。しかし、その姿を見てリタの脳裏にやはり真っ先によぎったのは、橙色の服を着た、冷たい目の男のことだった。

『……参る』

 

 

「……!!」

リタは口に手をやり、漏れ出そうとする叫びを閉じこめた。膝がかくんと折れて、そのままぺたりと座りこむ。はっと気がついてレイヴンを見ると、いつのまにか屈んで髪紐を拾っていた。そしてそのまま、また手早く縛った。

「ごめん、ごめんね」

隣に座って、そう言いながら背中と頭をぽんぽんとさする。リタ自身、何かを強く考えたわけではなかった。ただ、“彼”の姿を思い出したとき、いろいろなものが頭の中に押し寄せて、むしろ何も考えられなくなったのだった。

「…………」

旅の間も、レイヴンが髪をほどいているところには何度か遭遇した。しかしそのたびリタは脱兎のごとく逃げ出してばかりだった。レイヴンが、シュヴァーン隊の騎士と話しているときも、なにか胸がざわついて、いつも離れたところで目をそむけていた。

 

一気に沈んでしまった空気に、レイヴンはせわしなく視線を動かし、しかしそのままリタの背中を撫で続けていた。しばらく沈黙がつづいたあと、先に口を開いたのはリタのほうだった。

「……シュヴァーンは、おっさん、なの?」

リタは床に視線を落としたまま問いかけた。その問いに、レイヴンは撃たれたひとのような顔をして、言葉を失っていた。再び沈黙が走り、その静けさに耳が痛くなるほどだった。

「……ごめん、バカな質問だったわ。忘れて」

ここに一緒に住むことになったのはリタが半分押し掛けたようなものだった。しかし、ともに暮らすようになったのに、それは考えないようにしていたことだった。ずっと逃げ出したままここまで来た。

リタは自分がなにを思って今まできたのか、自分でもよく分からなかった。逃げるのは嫌いだった。けれど本当はずっと逃げてばかりで、そのことはきっとレイヴンを苦しめてきたにちがいない。そんなことにも気づかずにいた自分が、リタは情けなく悔しい思いだった。

「……リタっち、なんか飲む?」

レイヴンがリタの顔を遠慮がちにのぞきこんで、そう声をかけた。リタは振り向いて、自分を気遣おうとするレイヴンの顔をおそるおそる見た。口元は微笑みを浮かべていたが、とても、悲しい瞳だった。そのまま立ち上がってどこかへ行こうとするのを、リタはほぼ反射的にシャツの裾をつかみ引き止めていた。

「待って」

「リタっち……」

リタが裾をつかんだまま離そうとしないので、レイヴンは再びリタのそばにゆっくり腰を下ろした。リタの手は力をゆるめたが、つかんだ服の裾を離そうはとしなかった。ふと、リタは自分がこの場に似つかない服を着たままだということに気づいた。しかし今さら早く着替えてこようなどとは思わなかった。レイヴンを引き止めたのはリタだ。

『……女の子は服や髪型を変えると別人みたいになったりするよねえ』

先程レイヴンがリタに言った言葉だった。服や髪型を変えて、“彼”が目の前に現れたとき、リタは初めなにも気づかなかった。まさか、とその可能性に思い当たることもなかった。“彼”が声を発するまで。今でも、“彼”が目の前のレイヴンと入れ替わってしまうことを、リタは恐れているのかもしれないと思った。ほどいた髪はその兆候としてリタの恐怖の対象となった。

「……ここにいるおっさんは、“レイヴン”なの?」

さっきと似たような質問だったが、いろいろなことが違った。リタは首だけレイヴンのほうに向けてぼそりと呟くように問うた。

「うん……そうね」

レイヴンは落ち着いた声で静かに答えた。リタはやっとシャツの裾をつかんでいた手を離して、レイヴンにちゃんと向き直った。

「“レイヴン”は、あたしの知ってるおっさんなの?」

ぺたりと座ったままの膝のあいだに手をついて、リタはまっすぐにレイヴンの顔を見た。その真剣なリタの表情に、レイヴンは少したじろぎ、やがてゆっくりと口を開いた。

「……リタっちとずっと一緒にいたのは、“レイヴン”だった、よ」

「でも、あんたは、それだけじゃなかったでしょう」

「そう、だねえ、でも、もうここには“レイヴン”しかいないんよ」

レイヴンは微笑んでそう告げた。何かを飲み込んだ、そんな表情だった。

「“シュヴァーン”も“レイヴン”も、どっちも役柄でしかなくて、それを演じてるだけだったんよ、ずっと長い間」

リタはレイヴンの過去を詳しくは知らない。だからレイヴンの意味するところが何なのか、具体的には分からなかった。しかし、リタは出会ってから今までのレイヴンを思い返していた。嘘ばかりついているように見える男だった。何が本当で何が嘘なのか分からずに、何度も苛立ったこともあった。そして、へらへらと笑う顔の、その向こうにある何かをリタは見ようとしなかった。その先にたどり着いたあの日。

『俺にとっては、ようやく訪れた終わりだ』

 

 

「でもさ、“シュヴァーン”はおっさんじゃないし、もういないんだから、リタっちがなんにも心配することなんかないんだからね」

「……違うわ」

少しだけへらりと笑って、安心させるように言うレイヴンに、リタは低い声で否定の言葉を口にした。シュヴァーンはおっさんじゃない、その言葉をレイヴンは何度も口にした。しかしそれでもリタはシュヴァーンのことをどこかで恐れてきた。レイヴンが口にする、シュヴァーンじゃない、というのは、きっと違う。

「“シュヴァーン”は確かに死んだかもしれないわ。でもあんたの中のシュヴァーンはまだここにいる。そして、これからもきっといなくなったりはしないわ」

それは“レイヴン”がここにいるのと同じように。リタは話しながら、同時に自分の中に言葉を埋め込むように胸に手を当てた。

「あの日、あたしたちの前に現れたシュヴァーンだって、髪も、服も、おっさんと全然違って、でもあれは別人なんかじゃなかった……おっさんは、あたしたちを助けてくれた」

ゆっくりと言葉を紡ぐリタに、レイヴンは膝の上で握りこぶしを作り、下を向いた。過去を悔やんでいるのか、リタの言葉に何も言えないでいるのか、その表情は驚きとも悲しみともつかなかった。

「服や、髪が違ったって、あのときもおっさんはおっさんだった、あたしにとっては、きっとそれだけなのよ」

リタは膝立ちして、ゆっくりと手を回しレイヴンの髪紐をゆるめ、両手でそっと、しっとりとしたその髪をすくいあげた。一房、また一房と、少しずつレイヴンの髪がおろされていく。レイヴンは呆然としながらじっと動かずその行為を見ていた。そして、とめる髪がなくなった髪紐がするりと落ちようとするのを、リタは手でさっと受け止めた。

「やっぱり、あたしの思った通りよ」

そこには髪を下ろした、リタの知っているレイヴンがいた。瞳の色も、肌の色も、ぽかんとしたままの顔も同じだ。どうして、そんなにあっさりと変わってしまえるなんて思えたのだろう。

「どっからどう見てもおっさんじゃない」

声が震えた。思わずぽろ、と目から雫がこぼれた。リタは信じられないというような顔をしたが、それはそのままぽろぽろと続いて止まらなかった。

気がつけばレイヴンの胸にやわらかく顔を押し当てられていた。二本の腕が背中をあたたかく包んでいる。リタはその感触と、シャツから漂う懐かしいような香りにますます泣きそうになり、レイヴンの服をぎゅっとつかみ、観念してそのまま泣き始めた。泣きながら、ごめん、ごめんなさい、と何度か小さく漏らした。リタが喋るたび、レイヴンは真新しい白い生地で覆われた背中をやさしく撫でた。そして幾度か、その腕に力をこめた。

「ごめんね、ありがとう、リタっち」

そうレイヴンも繰り返し呟いた。そして途切れ途切れに語った。

「シュヴァーンも、俺だった……けど、ここにいたいって思ったのは、レイヴンで、リタっちと一緒にいたいと思った俺は、レイヴンだった……そういうこと、なんだと思う」

リタにとっての“シュヴァーン”は、レイヴンが自分の手の届かないところに行ってしまうという、漠然とした恐怖の象徴だった、とリタは気づいた。リタのそばにいたレイヴンが、ある日また冷たい目をして、遠いところに行ってしまうような。

「一緒にいたいって、それって、いなくならないってことなの」

絞り出すように、リタはつぶやく。それを聞いて、レイヴンはリタを包む腕にいっそう力をこめ、聞き逃しそうに小さい声で、リタ、と言った。

「……リタっちがここにいてくれる限り、おっさんは、いなくなったりしないよ」

レイヴンはゆっくりとそう言う。きっとどんな言葉を言われても、いつまでも信じていられるわけはないと思った。それでも、今だけは少し信じようと思えた。手を伸ばし、髪の先にふれる。リタの手は、今はこうしてちゃんとレイヴンに届く。

「嘘つきな奴は、嫌いなの」

「……うん」

「わかってるでしょうね」

「もちろん」

リタは、もう一度両手でレイヴンの髪にふれてみた。そして、レイヴンの手が触れている、おろしたての服を着た自分。こんな服を着て、恥ずかしくなって、いくら自分じゃないと思ったって、目の前のこのひとを抱きしめたいという気持ちは変わらずある。そして、もちろん頭の中で複雑な公式もそらんじられる。レイヴンも、きっとそうだったのだろうと思った。シュヴァーンもここにいるとは、そういうことなのだろう。

「この子は、いろんなおっさんを見てきたのね」

リタはそっとシャツ越しの魔導器に手を触れる。ほんの少し近づけたのかな、とひとり胸の中でそれに呼びかける。

「……これに会ったときは、“レイヴン”も“シュヴァーン”もいなかったんよ」

「え、そうなの」

びっくりして目を丸くさせる。前からいろいろと考え探っていたものの、リタにとっては、初めて聞く話だった。

「また、あとでね。先に着替えてらっしゃい」

レイヴンはやさしげに微笑むと、リタの頭をぽんぽんと叩いた。リタはごまかされたような気がして腑に落ちなかったが、ちゃんと絶対に聞き出してやろうと決意した。“もうひとり”のその話をリタが聞くのは、もう少し先のことだ。

「リタっち」

着替えてこようと立ち上がったリタを、レイヴンが呼びとめた。

「なによ」

「その服、似合ってるよ」

今さらいきなり言われたその言葉に、リタはたちまち赤面した。

「ばかじゃないの」

そう言って洗面所に駆けこんだリタはばたんとドアを勢いよく閉めて、ぺたんと座りこんだ。その顔は真っ赤に火照っていたが、レイヴンには絶対見せられないような、嬉しそうな微笑みが浮かんでいたのだった。

「うそつき」


あとがき

 

冒頭書いた通り、レイヴンとシュヴァーンについて真剣に考えてみました。

なんだか最初はリタっちがかわいい服を着てきゃっきゃうふふするお話みたいに見えますが、後半ありきの前半です。しかしリタっちのかわいい服はいいですね。普段着なれないところが特に。

この話はタイトルに苦戦しました。でも、思い切って自分のレイリタ観を出したものにしてみました。

読んでいただきありがとうございました。