新しい二人

いい夫婦の日レイリタ。

結婚して、二人で新しい生活を始めるただそれだけのレイリタです。

いつまでも熟年夫婦のようなレイリタに祝福あれ。


朝、目が覚めたとき、なぜか天井の色がちがって見えた。部屋を出るときに残していったへらっとした言葉が、少しふわふわ浮いたように聞こえた。変な感じがして、振り返ったときにはもうひらひらと振られる大きな手しか見えなかった。

リタは、一人残された部屋で、大きく息を吸いこんだ。今日から、リタは妻という立場のもとで暮らすのだ。夫であるレイヴンとともに、この黄昏の街で。

 

なにもあたしの中では変わらない、そう思っていたが、実際に朝を迎えてレイヴンがギルドに出かけるまで、いつも通りのことだったはずなのにリタはちっともいつも通りだとは思えなかった。レイヴンも、てっきり「今日からリタっちとおっさんのラブラブ夫婦生活のはじまりよっ」というようなふざけたことを言ってくるのかと思っていたのだが、全然そんな気配はなく、朝食のときもただ「リタっち、おいしい?」と一言聞いてきただけだった。リタもそんなレイヴンの様子に始終そわそわと落ち着かず、朝はどこかずっとぎこちない感じだった。

本の山に埋もれて、リタは自室をきょろきょろと見渡した。もう二年ほど暮らした家。自分の場所だと心から思える。レイヴンとは長い間曖昧な関係のままだった。それが、気がつけば結婚して夫婦という間柄になっていた。とても不思議だ。

「あたしが、おっさんの妻……」

口に出した途端とてつもない気恥ずかしさに襲われ、誰も見ていないのにとっさに顔を手で覆った。

「あーっもうなんなのこれ……バカっぽい……」

床にごろんと寝転がり、天井に向かってぱっと手を広げてみた。左手の薬指に宿るシンプルな光。やはり慣れないその見た目とつけごこちに、リタは再び嘆息するのだった。

 

 

 

買い物に出るなら絶対に昼間のうちに、路地には入らないように、とレイヴンに言われてからもうずいぶん経つ。このダングレストを出歩くのも慣れたものだった。昼間でも黄昏に覆われたこの街は時間の感覚を曖昧にさせるが、商店の賑わいは確かに昼時のものだった。

「あーら、リタちゃんじゃないの!」

通りで声をかけられた。雑貨を取りあつかう店を営む、顔なじみの女主人だった。

「あんた、あのレイヴンとようやく一緒になったんだってねえ!いつはっきりさせるのかやきもきしてたもんだけど、おばさんも一安心だよ」

いきなりレイヴンの話題を出されてリタはうろたえた。耳が早い。当然だ、レイヴンはダングレストでは一、二を争う有名人なのだ。え、あ、その、と、まともな言葉ひとつも返せずにいると、女主人はリタにどさりと紙袋を持たせた。

「これは新婚さんへのサービスだよ、持っていきな!」

中をちらりと覗くと、細々とした日用品などが入っていた。

「こ、こんなのタダでもらえないわよ……」

「いいのいいの、あんた、幸せになるんだよ!はーいいらっしゃいいらっしゃい……」

そうして女主人は新しい客の対応を始めてしまい、あれよあれよと人波に流されてリタは紙袋を持っていかざるを得なかった。

「幸せになるんだよ、って……」

結婚のときも、いろんな人にお祝いの言葉をもらった。けれどこうしていつも通りの街でそのようなことを言われるのは、とてもむずがゆいものだった。

 

 

そのまま商店通りを歩いていると、さまざまな人がリタに声をかけてきた。レイヴンの嫁さんか、あいつが所帯持ちになったなんてな、などと口々に言いながら、野菜や果物、魚や肉といった食べ物、お菓子、よく家で用いる日用品などを次々とリタにくれた。リタに声をかけてきた人の中には、いつかレイヴンに言い寄っていたのを見たことのある女性もいた。

「あなた、レイヴンと結婚したそうね」

「……それが何なの」

「……あのレイヴンが、覚悟を決めて誰かと一緒になるなんて、私どこかであり得ないと思ってたわ。でも、レイヴンは決めたのね、あなたならって」

女性はリタをどこか寂しげな瞳で見つめ、ふっと微笑んだ。

「まさかこんな子どもと、なんて最初は思ってたけど、そんなことなかったわね。あなた、もう立派な女よ」

その言葉を残して、リタがなにごとか返す前に女性は歩き去ってしまった。いつか酒場で、レイヴンの新しい相手だと勘違いされたことがあった。それが今は本当になってしまった。ただくだらない喧嘩してばかりいたあの頃からずいぶん遠くへ来た。今のリタは、レイヴンの妻としてこの街を歩いている。向けられる奇異の視線は少し煩わしいものがあったが、たくさんもらった祝福の言葉に、胸の奥がこそばゆい気分だった。

 

 

商店でサービスだとたくさんの物を持たされ、帰り道のリタの腕はいっぱいだった。両肩と両腕に袋を提げ、さらに両手に袋を二つ抱えている。よろよろと歩くリタの視界は半分袋で遮られて見えない。ただでさえさっきから視線が気になって仕方がないのに、このような大荷物でさらに注目を浴びるなんて耐えられず、早く帰りつきたい一心だった。

「リターっち、ちゃんと歩かないと危ないわよ」

いきなり気の抜けたような声で名前を呼ばれ、よろよろと振り向くと、ぽすんと体がぶつかった。顔を上げると、レイヴンがにこにこと笑っていた。

「あんた、なんでこんなとこにいんの」

「なんでって、いや、もう今日は帰れって言われてさあ……ちょっと上の空だったもんだから」

「なにやってんのよNo.2が……」

「俺の嫁さんのこと、ずーっと考えちゃって」

横を向きながらレイヴンはそう言って、リタの持つ荷物を取り上げ、ぱぱっとまとめるとさっと抱えあげ歩き始めた。

「なんなのよ、それ……」

リタは呆れたようにその背中に呟いたが、顔はとても熱かった。やはり慣れない。いろんな違いが生まれた。

「今日さ、もう会う奴会う奴、あんな若いかわいい嫁さんもらうなんて信じられん、とか、お前もしかしてそういう趣味だったのか、とかほんと好き勝手言ってくれちゃってさ……ひどいわほんと」

「あんたが結婚なんて信じられない、ってみんな言ってたわよ、店のひと」

「うそー!?おっさんのことなんだと思ってるのかしら……」

レイヴンはがっくりとうなだれて、相当ショックだというようにふらふらと歩いた。ダングレストの人にとって、レイヴンは有名人であって、それとともにずっと長い間見守ってきた大切な存在なのだろう、とリタには思えた。リタの知らないレイヴンのことも、この街は知っている。その街の人から祝福をもらえたことは、リタにかすかな勇気と自信のようなものを与えたような気がした。

「これ、ほとんど街の人からもらったやつ。お祝いだって言われて」

リタはレイヴンの抱える荷物を指差して言った。

「え、これリタっちがウキウキしちゃってつい買いすぎたんじゃないの?」

「あたしがそんな無駄遣いするか!ていうかウキウキってなによ気持ち悪いわね」

「気持ち悪いとは何よ!リタっちが俺様との新婚生活にそわそわしながら待ってるかなーとかずっと考えてたのに!」

リタははっと途端に顔を赤らめ何も言えなくなった。今黙ったら図星と言っているようなものだ。なにか言い返さなくてはとは思うのだが、唇はぱくぱくと動くだけでなにも言葉を発せない。

「あら……ほんとに?」

レイヴンの丸くした目を見てリタはとっさにだっと駆け出した。あまりの顔の熱さと居たたまれなさに、もうそうするしかなかった。

 

 

 

「はあっ、はあっ……」

走って、レイヴンが見えなくなるまで走って、そのまま家の前まで辿りついた。そうして、リタは昔同じようなことがあった、と思い出した。レイヴンに荷物を持ってもらったまま、走り出して一人で宿に帰ろうとしてしまったこと。そのときはすぐに追いつかれて腕を取られてしまった。けれど、今日はレイヴンが追いかけてくる気配がない。一瞬不安になってから、追いかけてほしかったのかと苦々しい気持ちになった。そんなことを考えてしまった自分に対して。あのときからなにも変わっていないと思った。すぐに慌ててしまって肝心なことをちゃんと言葉にできないこと。

「どしたの、中入らんの」

突然ぽんと頭に何か乗せられた。そこには荷物を抱えたレイヴンが、小さなブーケを持って立っていた。

「おっさん……」

「リタっち、走るの速くなったよねえ、若人の成長はこわいわ」

ふう、と息をついてへらりと笑ってみせた。いつも、そうしてなにもかも分かっているというように現れる。まだまだ未熟な自分は、してやられてばかりだ。リタは、レイヴンの腕に抱えられた荷物をひとつ手に持った。

「ごめん、またあたし、」

「リタっち」

レイヴンはリタの言葉を遮って、手に持った小さなブーケを差し出した。

「ほい、これ、結婚生活初日記念」

「え……」

「俺もさ、リタっちと夫婦になれたなんて、ほんとはぜーんぜん実感なくてさ、それでずーっと朝からぐるぐるしてばっかだったのよ」

人差し指を回しながら、ぐーるぐる、とおどけたようにやってみせた。

「でもさ、ちょっとずつ、ちょっとずつでいいからやっていこ、俺もリタっちも、全部初めてなんだから」

穏やかな声で微笑みかけるレイヴンに、リタは腕の中の荷物をぎゅっと抱きしめた。小さなブーケはほんのささやかなものだった。さっきリタが走り去ってから買いに行っていたのだろう。

同じようで昔と違ったのは、レイヴンとリタは同じ家に暮らし、夫婦であるということだった。何があっても、これからはリタがこの家に帰れば、レイヴンもこの家に帰ってくるのだ。そのことがとても大発見のように思えてくる。夕方の風が初めて吸いこむような匂いを香らせる。

「……あたしも、がんばる、妻、だから」

リタが下を向いたまま言うと、レイヴンは手を伸ばし、くしゃりと頭を撫でてきた。

「……んじゃ、おっさんはリタっちの旦那さんとしてがんばらないといかんね」

撫でられる感触がいつもよりくすぐったい。間柄に名前がつくことに、どんな意味があるのだろうと思っていたが、やっぱり意味はあるのだろう。全部のことが少しくすぐったくて、心の奥底があたたかい。夫婦と呼ばれることは。

 

ドアを開けて、家の中に入ろうとすると、レイヴンはリタの腕をちょん、と引っぱった。

「そだ、リタっち、おかえりって言ってよ」

「なんで、今から一緒に家入るのに訳わかんないわよ」

「いや、だってさ、なんとなく」

少し間を置いたあと、リタはドアノブを握って背を向けたまま、ひとこと、おかえり、と小さく言った。

「ん、ただいま、リタっち」

嬉しそうにそう返しながら、後ろに続くように入ってきた。レイヴンが家の中に入って、ドアが閉まったのを見てから、リタは荷物を下ろしたレイヴンの胸にぎゅうと顔を押しつけた。

「……おかえり、なさい、レイヴン」

レイヴンの返事はない。リタは、なにを言われてもしばらくは絶対に顔を上げられないと思いながら、陰になった顔を赤く染めた。レイヴンがリタの背中に腕を回したとき、二人で買った新しい時計が、夕食どきの時間を告げた。顔を見合わせて、少しだけぎこちなく笑った。


あとがき

 

いい夫婦の日レイリタをせっかくなのでもう勢いで書こうと思ったら、思ったより少し長くなりました……;前に書きました『なんて言ったの?』と少しだけ絡めております。

レイリタと夫婦という間柄を考える話はまた書きたいです。いい夫婦の日には遅刻しちゃいましたが、話によると今日はまだいい夫妻の日らしいので、幸せなレイリタを祈って、この話を捧げます。