道化

ドンの事件後のリタの話です。本編と外伝小説「虚空の仮面」準拠ですが、捏造が入っています。「虚空の仮面」読後推奨です。

本編のパラレルワールドだと思ってお読みください。多少ダークです。

一応レイリタのつもりですが恋愛描写はないと思います。


夕暮れの街の真ん中で、ダングレストの巨星、ドンが死んだ。

街を、人々を大きく変えたその出来事から、いくらか経ってからのことだった。

「カロル、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫でしょ、ユーリがうまくやってるわよきっと」

リタとエステルは、ユニオン本部でも一番奥の、ギルド幹部の部屋にいた。ごたごたと騒ぎが起きているダングレストで、ここにいるのが一番トラブルを避けるのに最適だった。ユーリが外に出ていってから、もうしばらくは経つ。リタは部屋に飾られた五代ギルドの紋章を眺めながら、ぼんやりとしていた。

「これから、どうなるんでしょうか」

「さあね……でも、あいつのことだから、確かあの女が追われてるって話をなんとかしにいくんじゃないの」

ここのところ色々なことが起きすぎて、リタは柄にもなく少し心が波立っているのを感じていた。エステルの力。ジュディスの裏切り。ギルドの責任とケジメ。どれも大きなことだった。その都度リタは考え、受け入れてきたつもりだった。しかし、誰かの死というものがこんなにも多くの人々を揺るがせ、街の空気まで変えてしまうものなのだと、リタは初めて知った。魔導器については誰よりも詳しいかわりに、人についてあまり知ろうとしなかったリタは、初めて死というものに間近で立ち会ったのだ。

「そろそろ、支度をしておきましょうか」

エステルは立ち上がって服を整えた。彼女もきっと辛くないわけがないのに、平気な振りをしている、とリタは思った。もともとは、エステルのことを知るために始まったリタの旅だったが、リタにも新たな気持ちが芽生え始めていた。

――あたしには、まだ知らないことがたくさんある。それを絶対に自分の目で見ていきたい。

そんな気持ちが、確かに胸の中に息づいているのを感じた。エステルが用意ができたのを確認して、リタは二人で部屋をあとにした。

 

 

「あ、あたしいろいろ不足してきたものとか買い足したいから、エステルは先に行ってて」

リタはポケットの中身を確かめながら言った。

「買い物でしたら、わたしもついていきますよ」

「こまごましたものだからいいわよ。それよりエステルはユーリ探しといて。行き違いになったら困るでしょ」

「そうですね……わかりました。じゃあ、わたしはユーリと一緒に、橋のところで待ってますね」

エステルはひらひらと手を振って、入口の広場のほうへ歩いて行った。

 

 

ダングレストの商店通りは、以前より人がまばらだったが、営業は行われていた。

この街に来るのは何度目だったか、しかし初めて来たときはその賑やかさに少し驚いたのを覚えている。そのときに比べれば、活気はずいぶん失われていた。店の人々もどことなく表情が曇っている。リタは売り子の顔を見ないように手早く買い物を済ませた。

ガルドをポケットにしまいながらそのまま歩き出そうとすると、手のひらからぽろりと硬貨が一枚こぼれ落ちた。

「あっ」

それは商店の隙間に伸びる小さな通りのほうに素早く転がっていった。硬貨一枚くらい、と一瞬思ったが、お金に関する様々な迷信を思い出したリタは、ここでお金を見捨てたらきっと良くないことが起こる、と思い直し、リタは狭い通りに入って硬貨を追いかけた。

 

 

硬貨は狭い通りを抜けた次の角に転がっていた。リタはやれやれだわ、と身をかがめてそれを拾った。ふと、リタは向こうにちらりと小さな影が見え隠れしているのに気付いた。そちらに足を向けてみると、建物の陰に猫がちょこんと座っていた。

「にゃあ」

茶色い毛並で、近くで見ると少し薄汚れている。野良だろうか、首輪はない。

「……にゃあ」

鳴き真似をして応えてみた。すると猫はリタの足下にすり寄ってきた。頭を撫でてみても逃げる様子はなかった。

「野良なのにこんなに人懐っこいなんて珍しいわね」

きっとこの辺りの街の人々に可愛がられているのだろうと思った。それなら食べ物にも困らない。リタは買い物袋からさっき買ったばかりの、携帯用のチーズをひとつ取り出し、小さくちぎって食べさせてやった。

「にゃ」

猫は小さく鳴くと身をひるがえしさっと通りの奥に駆けていった。

「なによ、食べ物ねだりに来ただけなんじゃない」

リタは苦笑いしながらひとりごちた。猫は人間よりもずっとたくましい。それにひきかえ人間はいつも目の前の出来事に翻弄される。この街の人々のように。自分たちのように。

さあ早く戻らないと、と周りを見渡して気づいた。ここはどこだろう。

猫に構っているうちに路地の奥の方まで来てしまって、辺りは知らない建物ばかりだった。

――迷った?

リタは少し怖くなったが、きっと表情を引き締め歩き始めた。見知らぬ土地を歩くことは遺跡調査とそんなに変わらないのだから、そのうち大通りに出られるだろう、と楽観的に考えることにした。

 

 

角を何回か曲がるうち、リタは自分がどんどんと寂しい道に入り込んでいるのに気づいた。それに気付いたとしても、リタにはどこも同じような道や街並みが続いているように見えて、戻り方はわからないままだった。

「ほんとなんなのよこの街……入り組みすぎでしょ」

猫に出会えたのは幸運だったが、その代わりに迷ってしまっては形無しだ。そもそもお金を落とさなければこんなことにならなかった。リタはもう、と壁を軽く蹴った。いつまでたっても見知った通りに出られない心細さを、苛立ちで紛らわそうとした。

 

何度目だろう、また行き止まりに行き当たってしまった。引き返そうとすると、ふと小さな建物の窓の向こうに、ぼんやりと人影が見えた。窓は白いカーテンで覆われていたが、少し開いた隙間から、その姿をうかがうことができた。

――もしかして、……おっさん?

紫の羽織に包まれたよく見知ったその背中は、ぼんやりと部屋の中に立っていた。天を射る矢の重鎮として駆け回っているはずのレイヴンがなぜこんなところにいるのかと考え、リタはサボりかと結論づけた。窓を叩いて帰り道を聞いてやろう、そう思いかけたところで、リタはレイヴンが白い紙を持っているのに気づいた。仕事の紙だろうか。

「……は……はは」

かすかに声が漏れ聞こえた。リタは様子がおかしいと思い、窓に近づき向こうからは見えないように耳をそばだてた。

「……はっ、はははは、あははははははは」

笑い声だった。リタはとっさに自分の身がこわばるのを感じた。それがただの笑い声ではないことに気づいたからだった。自分の知っているレイヴンはあんな笑い方をしない。まるで心を引き裂かれるかのような声だった。

――泣いて、いるの?

その声に泣き声が少しずつ混ざっていくのを、リタは胸の前でぎゅっと手を握り合わせて聞いていた。こんな風に泣く人の声を、リタは初めて聞いた。それもあのレイヴンが。

――おっさんも、そんなに悲しかったの?

思えばドンの右腕としていつも動いていたレイヴンだった。悲しくないわけがないのだ。しかしそれを目の当たりにして、リタは少なからず動揺していた。早くここから立ち去らなくては。自分はここにいてはだめだ。尋常ではない様子にリタはそう思ったが、足が震えて一歩も動けなかった。

がたがたと物が倒れる音がする。何かが壁にぶつかるような音も聞こえて、リタは身をすくませ思わずその場にすとんと座り込んだ。今すぐ様子を確かめたかったが、腰が抜けて立てなかった。涙まじりの笑い声、硬いものがぶつかりあう衝撃と音。リタは窓の向こうから響くさまざまな音に身を震わせながら、自分の体を抱きしめた。視界がぐにゃりと歪み、ぽたぽたと涙がこぼれる。それはレイヴンの悲しみを慮るものではなく、ただ恐怖と胸の痛みから溢れだしたものだった。リタは自分に突如飛び込んできた目の前の出来事から、自分の身を守るので必死だった。もう悲しみと表現していいのか分からないその音にリタはただじっと耐えた。

 

 

声はいつの間にか止んでいた。リタは胸の前で組んだ手が汗でびっしょりなことに気づいた。

リタはよろよろと立ち上がり、部屋の中を恐る恐る覗いてみた。先ほどと変わらない暗闇の中に、秩序なく倒れた椅子や机が見えた。そして散らかった暗い部屋の真ん中に、レイヴンが突っ伏していた。

「……っ!!」

リタは息を飲み、たまらずその場から駆け出した。何も考えられなかった。頭の中をレイヴンの声がぐるぐると回っていた。笑い泣く声、床に突っ伏した姿、いつものへらへらと笑う顔。

『リタっち』

あれが良く似た別人だったら、リタはそうだったらどんなにいいだろうと思ったが、そんなわけはないことは分かっていた。見なければよかった。見たくなかった。窓をがんがんと叩いて、声をかけるべきだっただろうか。なにやってんのよ、おっさん、とでも叫んでいれば。しかしリタはあのときの自分にそんなことができたとは到底思えなかった。

「はあっ、はあっ……」

心臓がばくばくと鳴り、リタは膝に手をつき息を吐いた。気が付けばそこは入り口の通りだった。無我夢中で走るうちに、いつの間にか路地から抜け出していたらしい。

橋のほうに目を向けると、ユーリやエステルはまだいなかった。リタはほっと息をついて歩き出した。汗びっしょりの手と顔、目尻ににじんだ涙に気づき、リタは慌ててごしごしと袖で顔を拭いた。

ダングレストの入り口の橋にリタはもたれかかり、ほうっと息をついた。まだ頭が熱くぐらぐらしたような感覚は残っていたが、川を吹き抜ける涼しい風にだんだんと思考も冷えてきた。そうすると、ユーリとエステルがこちらへ歩いてくるのが見えた。リタはようやくはっきりと「戻ってきた」と思えた。

 

 

合流してさっそく、これからどうするかという話になった。リタはもちろん一緒にエアルクレーネの調査をすると答えた。エステルの目的はジュディスを追いかけるということでユーリと一致していたが、二人の思惑はそれぞれ違うようだった。

「……ジュディスは一緒に旅してきた仲間です……」

リタとて、ずっとそう思っていた。しかし彼女は大切な魔導器を壊し、自分たちのもとから去ってしまった。この街で起きたことも、リタたちの気持ちも知らずに。

ふと脳裏に先程見た光景がよみがえり、リタはぐっと拳を握りしめた。ジュディスが裏切ったこと自体が許せないのもあったが、リタは自分自身の動揺した心をこの場にいないジュディスへの苛立ちで誤魔化そうとしていた。

「レイヴンはどうするんです?」

話がまとまり出発しようという流れになったところで、エステルがその名前を出した。

「……さすがに来ないでしょ、ドンを失ったこの街をほっとけないだろうし」

リタは向こうに見える街並みを眺めながらそう言った。意外と冷静に答えられた自分に少し驚きながらも、本当にあの様子では来られるはずがないと思っていたのも事実だった。

船へと向かうユーリたちの後ろを歩きながら、リタはもう一度迷い込んでいた路地の方角を見やった。

まだあのままだろうか。もうなんでもなかったように元に戻って、ギルドの仕事を始めただろうか。

――あたしには、何もできなかったもの。

そう言い聞かせ、リタは踵を返し足早に歩きだした。

 

 

 

 

 

「うむうむ、青春よのう」

その男は、予想もつかないタイミングで現れた。

「うわ!お、おっさん……!?」

リタは頭上に立つその影を見上げ、信じられない思いで驚きを口にした。レイヴンは甲板にさっと軽やかに降り立ち、いつもの調子で皆の前に姿を現した。

「んー、いろいろと面倒だから逃げてきちゃった」

そう軽く言ってのけるレイヴンに、リタは呆れの表情を浮かべながら、ちらりとその顔を見やる。――それは、どこまで、本当?

「ドンに世話になったんでしょ。悲しくないの?」

「ああ、悲しくて悲しくて、喉が渇くくらいに泣いてもう一滴も涙は出ない」

訝しげに問うカロルに、よよ、と大きく手で顔を覆って泣き真似をしてみせる。リタは、それが嘘ではないことを知っていた。暗い部屋と倒れた椅子、そして突っ伏したレイヴン――。だが、それと同時に、この男は自分がそんな様子を見せても、リタ達には本気にとられないことを知って言っているのだと、そう確信した。

「……ぜんっぜん、そんな風に見えないけど」

リタは、レイヴンを見る自分の目が呆れた調子を保ったままであるよう注意を払いながら、吐き出すようにそう言うのが精一杯だった。思ったよりもずっと怒ったような声が出た。――ああ、あたしおっさんと同じに嘘をつくのが板についてきてしまったのかもしれない。リタは内心で苦々しいものがじわりと広がるのを覚えた。

「じゃ、デズエール大陸に出発ですね」

エステルが胸の前で手を組み微笑む。カロルが、なんでデズエールなの、と聞くと、レイヴンがそれに視線だけカロルの方へ向けて答えた。

「良いカンしてんじゃないの。察しの通りテムザ山はコゴール砂漠の北にある。あそこにゃ確か、クリティア族の街があったしな」

「なんで、そんなこと知ってんのよ」

「少年少女の倍以上生きてると、人生、いろいろあるのよ」

含みを持たせるように、それでいてあくまでいつもの調子を崩さない。この人は本当にこういうことができるのだ、ということにリタはレイヴンが自分よりずっと遠いところに立っているような思いがした。

「なにそれ」

リタはほんとうに呆れて分からない、とでもいうように返した。きっと悲しみも怒りも戸惑いも通り越して、この男の振る舞いに呆れているのだ、と自分でも思えてきた。リタは今でも、あのときのことをはっきり思い出せた。レイヴンの渇いた笑い声がすぐ耳元に蘇って、思わず腕を組んだままぞくりと身震いをした。

 

「どしたの、リタっち。難しい顔して」

ひらりとどこかへ行ってしまったかと思っていたレイヴンが、顔をのぞきこんでいた。その表情はいつも通りで、本当に腹が立つくらい今までのレイヴンと同じに見えて、リタは唇を噛んだ。

「……イライラしてるだけよ、別に」

「ありゃ、リタっちもっとお魚食べなきゃだめよー、おっさんが作ってあげようか?」

リタは目の前の男に詰め寄って、本当はいろいろなことを聞きたい気持ちだった。しかし、実際にそれを想像してみると、リタの口から出てくる質問などひとつもないのだった。

「いらない、うざい」

「およよ、あいかわらずひどい……」

レイヴンはまたもや泣き崩れる仕草をした。そのふらふらと揺れる手を勢いよくつかみ、リタはレイヴンの目を睨むように見据えた。

「ちょ、ほんとにどしたの、怖い目」

「……なんでもないわ」

やはりなにも言うことができず、リタは静かに手を下ろした。ぽかんと何やらわからないという様子のレイヴンを見て、初めてリタは自分がレイヴンに対して本当になにもすることができないのだと思い知った。あの姿を盗み見てしまったリタにできることは、レイヴンを相も変わらない呆れた眼差しで見続けることだけだった。

「リタっちは、もっと笑ったほうがいいよ」

感情を鎮めるような、静かな口調だった。リタは黙ってその顔を見つめ、そして広がる海へ視線をそらした。

「おっさんに、言われたくないわ」

そう言いながら右足をトントンと床に打ちつけるリタを見て、レイヴンは曖昧な笑みを浮かべた。海をすべっていく船からどんどんとダングレストが遠ざかるのを見て、リタは自分が見た、レイヴンの本当のことからも無理矢理引き離されていくような気がした。

そのまま、リタとレイヴンはしばらく隣りあって遠ざかる街を、何も言葉をかわさず見つめていた。


あとがき

 

ネタは2013年秋くらいに思いついていたのですが、完成間近で放置していたのを書きあげました。

ゲーム本編で、あのときエステルと一緒にいたはずのリタが、橋で待ち合わせをするまでいったいどこにいたのだろう、と気になって書きました。なので完全に捏造です。

しかしこれは虚空の仮面ドラマCDを聴きながら書いていたのですが、おっさんの「あのとき」の悲痛な笑い声は本当に胸に刺さります。書きながら泣きそうになりました。

本編途中の話なので煮えきらない……二人はたぶんこのあとなにも言わないままなんだと思います。

ありがとうございました。