星守る夜を越えて

本編ED後同棲レイリタの、わりとシリアスな話です。思えば他もシリアスな話ばっかり書いてる気がしますが……。そこそこ長め?(当サイト比較)です。


がり、とペン先がひっかかる音がした。書き損じたところを塗りつぶし、また下の空白に文字を連ねる。何枚もの紙が周囲に散らばっている中で、リタは書いては考えこみ、また書いては考えこむことを繰り返していた。静かな部屋にはペンを走らせる音と、時折ぶつくさ漏らしてしまうリタのひとり言以外にはほとんどなにも聞こえない。

今日の検診で見た数値が頭の中をぐるぐる回る。ずっと魔導器を診てきて、その結果はなんでも包み隠さず言っていた。このくらいならなんとかなるわ、あたしがするんだから、と言って、実際になんとかしてきた。けれど、最近は、本当のことをちゃんと言えなくなった。

 

「リタっち、どんな感じ?」

検診をするときのレイヴンは、初めのうちこそ戸惑って落ち着かない様子を見せていたが、今は検診をすると言ったら普通にすとんとこちらに来て、どうぞ、とまるでなにかを差し出すような仕草すらする。リタにとっては手っ取り早くて助かるのだが、それが本当に自然なことになっているのに、なぜか言いしれぬ心もとなさを覚えるのだった。

「ん、そうね、変わらないわ、普通よ」

「そっか、それはよかったわ」

リタが淡々とこたえると、安堵したように笑う。その顔を見るたびに、ほっとする心とちくりとした痛みが干渉しあう。

書き連ねた文字に汗がぽとりと落ちた。部屋が暑いわけではない。リタの頭はわけのわからない焦りでいっぱいだった。いつからか、少し術式の綻びを見るたびに、頭の先から冷たい氷水を流しこまれたような感覚をおぼえてしまう。そんな様子を絶対にレイヴンの前では見せないようにしていた。今日見たものもそこまで深刻というわけではない。けれど、少しずつ不安定さが増していることにリタは気づいていた。なにか、何か手を打たなければいけない。確実に安定していける方法を考える必要がある。またペン先がひっかかり紙を破った。リタは紙束の上にばさりと倒れこんだ。

「あたしがなんとかするって、約束したんだから……」

レイヴンと暮らすようになってからどれくらい経っただろうか。リタが噛みつくように切った啖呵も、もう幾分か前のことになる。それから二人でただひたすら転がるように暮らした。リタはレイヴンのことが好きだったし、レイヴンもいつしか同じ気持ちを向けてくれた。それはたしかに幸せと呼べるものだった。

――なのになんで、こんなに落ち着かないの……。

顔に自分の袖を押しあてる。視界が真っ暗になった。その真っ暗な中にぐるぐると赤が光る。これはなんだろうか。危険を示すサイン?誰の、何の?違う、あれはただの魔導器の光だ。いつも見つめているから、目がおかしくなってしまったのかもしれない、とますます目をぎゅっとつむる。

リタは目を閉じても落ち着かない思考に思わずぎり、と歯を食いしばった。鼻の奥にじんと鈍い痛みが広がった。

 

 

 

 

ぎい、とドアの開く音がした。リタはふっと顔を上げる。細長い光が部屋の中へすうっと差し込んだ。

「また、茴香を並べてるの?」

顔を見せた女性はやさしく声をかけてくる。リタの手には小さな木の実が握られていた。

「……うん」

ぎこちなく返事を返す。ほかに何を言えばいいかわからなかった。

「また少し出かけなければならないの」

神妙な面持ちで女性は切り出した。少し悲しそうで、しかし真剣で揺らがない凛としたその顔を、リタは誰かに似ていると思った。

「出かけるって……どれくらい?」

「わからない、もしかしたら長引くかもしれない……でも、なるべく早く戻れるようにするわ」

女性は静かな声色で告げ、身を翻す。リタは何か言おうとして、でも何も言ってはいけないと思った。バタン、とドアが閉まる音が聞こえたとき、リタは反射的に立ち上がってしまった。膝の上に置いていた茴香がばらばらと床に落ちる。せめて見送りをしないといけないと思った。部屋はいつの間にかしんと静まり返っていた。リタはバタバタと音を立て、早足で家中を駆け回った。

「どこ!どこにいるの?もう行っちゃったの?」

声がわんわんと反響する。返事はない。どうしてこんなに必死なのだろう。勝手に体が動いていた。あの人は誰だっただろう。分かっているはずなのに、もう一人の自分がかたくなに答えを出すことを渋っている。なんとか見つけなくちゃ、聞きたいことがまだあったのに。すがりつくように玄関の扉を開ける。

「――!」

 

 

ごろんと体が放り出されたような感覚がした。硬い無機質な地面だった。白いローブの研究者たちがぐるりとリタを見下ろしている。

「モ、モルディオ……」

「な、なんだ突然」

研究者たちが慌てふためく中で、リタはただぽかんと座りこんでいた。何か話し合いでもしていたのだろう、リタは転んだ拍子にその渦中に投げ出されてしまったようだった。しばらくすると白のローブは方々に散っていき、リタの周りには誰もいなくなった。

――あたし……なんでこんなことしてるんだっけ……?

のそりと立ち上がり、歩き始めた。とにかく自分の小屋に帰って、研究を続けなければと思った。大切な魔導器たちのあるところ。さっきまで何をしていたのか、もう思い出すことはできなかった。

小屋に入ると、並べられた魔導器がリタを出迎えてくれた。床に散らばった本を踏まないように器用に歩いて、魔導器の近くに寄る。

「エリザベス、こっちはマリー」

名前を一つずつ呼んで並べ直していく。汚れを拭いてあげれば、まるで返事をするようにつやつやと光った。部屋中のひとつひとつに触れ、リタは満足そうに微笑んだ。

梯子をのぼった二階には書類の積み上げられた机と、小さなベッドがある。なんだか疲れてしまった。ちょっとだけ休もうか。そう思って枕元に目を向けたところで、何か見覚えのないものが置いてあることに気づいた。ひとつは奇妙な図と術式がびっしり書かれた紙束。もうひとつは、何かの模型だった。

「これ……魔導器?」

何かを象ったような特徴ある形の筐体に、赤い魔核が埋めこまれている。といっても、模型なので本物ではなく、どちらも軽くもろい素材で作られていた。裏側はなにか試行錯誤したあとが見られ、まだ組み立て途中のようだったが、表から見るとそれは不思議な見た目をしていた。中心に赤い光をたたえた、それは太陽のようにも星のようにも見えた。

リタはその魔導器と思われる模型をそっと両手で包みこんだ。稼働しているわけはないのに、指先から暖かさを感じる。この家にある魔導器は、さっき全部声をかけたはずなのに。頭がもやもやとする。そっと胸に抱きしめるようにして、問いかけた。

 

 

あなたは、誰?

 

 

「ひどいわあ、おっさんの名前、忘れちゃったの?」

軽い調子の声に振り向くと、そこには紫の羽織に身を包んだ男がいた。不満そうな顔をしながら、少しからかうような色も見える。

「そんなわけないでしょ、おっさんじゃないんだから」

「いやいやおっさんだってそこまでボケちゃないって!失礼ねえ」

「じゃあ、ここにある魔導器の名前、全部言いなさいよ」

「俺様がそんなの知るわけないでしょーが……無茶振りにもほどがあるわよって」

軽口を交わしているうちに、リタは手に持っていた何かがいつの間にかないことに気づいた。その違和感は一瞬思考を圧迫したが、すぐに些細なことだろうとどこかへ行ってしまった。

「はあ、リタっちは本当に魔導器が好きねえ」

ぽふんと大きな手のひらが頭に乗る。やさしく撫でられ、リタは下を向いたまま固まってしまった。

「そんなの……当たり前でしょ」

小さな声でなんとか返した。このふわふわした感覚は苦手だ。落ち着かなくて、足元がおぼつかない感じがするのに、とても眠くなる。

「……おっさんも、リタっちの大好きな魔導器のひとつになれるかねえ」

はじかれたように顔を上げた。笑っていた。ぐさりと胸になにかが突き刺さったような痛みと熱さ。違う、なに言ってんのよ、あんたばかなの、あんたは魔導器じゃないでしょ、言葉が次々わいてくるのに、ひとつも声に出せない。早く何か言わなくちゃいけない。いつもならここでまくし立てるところだ。なのに喉がつまったように言葉が出ない。

「最後なのに、もうすぐいなくなっちまうなんて、恩知らずな奴だ」

最後。そうだった。リタは自分の手のひらを見た。もう魔導器はこの世界にない。残されたたった一つが、目の前にある。それがいなくなるって何?なんでそんな他人事みたいなの?何もかも諦めたような口調に、リタは拳を握りしめた。けれど、それを振るうことはできなかった。

「ごめんね、リタっち」

がしりとシャツを掴んだ。なにも聞きたくなかった。ほとんど破るみたいに服を脱がせた。胸に石が詰まったみたいに呼吸が苦しくて荒くなる。とにかく必死だった。心臓魔導器が露出する。赤い光が激しく明滅している。早くなんとかしなければ。術式を展開しようとする手を、しかし大きな手が制止した。

「もういいんよ、なにもしなくて」

「なに言ってんのよ、離しなさいよ、早くしないと、あんたが」

言葉の途中で抱きしめられた。強い力だった。ぐいっと頭を引き寄せられ、動けなくなる。

「リタっちは強いから、きっと大丈夫よ、だいじょうぶ」

まるでこちらを安心させようとするかのような言葉と、背中を撫でる仕草。その感覚がやわらかくて痛くて、涙がぽろぽろとこぼれる。ひとつも大丈夫なんかじゃない。今ここで動かなければ、もうなくしてしまう。嫌だ、なんとかしないと、もうなくすのは嫌だ、そう思うのに、涙がこぼれるばかりで他はなにも動かない。自分を抱きしめている男さえも。

「なによ、それ……」

リタは、その胸からすでに温かさが失われていることに気づいた。辺り一面は灰色に染まり、ここにはもうなにもなかった。ばりん、とリタは自分の中で何かが砕け散る音を聞いた。

 

 

 

 

「いやっ……!!」

叫び声に打たれたように目を開けた。硬い床の上にいた。手をもそもそと動かすと、何枚もの紙の感触があった。体を起こして、ぼんやりと部屋の中を見回す。床に散らばった何枚もの紙と、積み上げられた本がリタを取り囲んでいる。

寒い、と感じて、リタは自分が汗をびっしょりかいていることに気づいた。気持ちの悪い感覚だった。湿った手を伸ばし書き散らされた文字を確かめるようになぞった。ふと頭の奥に、チカチカと明滅する光がよぎる。とても長い夢を見ていた。そう、夢だった。

 

『ごめんね、リタっち』

 

リタはとっさに立ち上がり、自室を飛び出した。声が、頭の中を何回も何回も巡る。台所の片付けられた食器、きれいに拭かれたテーブル、クッションがふたつ並べられたソファ、リタはそれらをひとつひとつ確認するたびに心が削られていくような思いがした。もう誰もいない夢。夢ならいい、でももし本当なら。リタは恐ろしくて仕方なかった。恐怖に突き動かされるように、家中のドアを開けては、誰もいないのを確認して閉めた。自分の足音だけが大きく響いているのに気づき、さらに不安はうねりをあげて襲いかかる。どこも無機質なくらいさえざえと静かで、ここは本当に自分の家なのかということさえ不確かに思えてくる。

そして最後にたどり着いた、一番奥の寝室のドアを、ほとんど体当たりするように開けた。

 

「あ…………」

部屋の明かりはついていなかった。開いている窓から、そっと月明かりが差し込んでいる。カーテンがぱたぱたと夜風に揺れるたび、床に落ちた影がそよそよとなびいた。

 

「リタっち……?いったいどうしたの?」

ドアを開けたすぐそこにいた、紫の羽織を着た男の姿をとらえて、リタはへたりと床に座りこんだ。家中を走り回ったせいで、すっかり息が上がっていた。

「いやほんとなんかあったの?ただ事じゃないって感じじゃないのよ、リタっちのそんな様子」

レイヴンはしゃがみこんで目線をあわせ、心配そうに言った。リタはぽかんと口を開けたまま動けなかった。胸の中でいろんな感情がごちゃまぜになって、麻痺したみたいだった。

「な、なんでもない……もう、戻る……」

リタはそう言って立ち上がろうとしたが、体に力が入らず、立てなかった。しかたなく座ったままずるずる方向転換して、這うように廊下を戻ろうとした。

「ちょーっと待った」

後ろからがばっと捕まえられた。リタはじたばたと腕をほどこうとしたが、力が入らなくてはどうにもならない。

「ほら、おっさんと一緒にお月見付き合ってよ」

そのまま抱き上げられて、寝室を通り抜けてベランダに連れていかれた。夜の外気の新鮮な匂いに驚いているうちに、すとんと小さな椅子に下ろされる。隣にはもう一つの椅子と、小さなテーブルがあり、その上には酒瓶とグラスがひとつずつ置いてあった。

「……あんた、酒飲んでたの」

「だってさ、リタっちが『集中したいから絶対入ってくんな!』っておっさんのこと締め出すもんだから、ここで寂しくひとり酒よ……仕方ないでしょー」

およよ、と涙をぬぐうような仕草をする。涼しい夜風に吹かれているうちに、リタは少し落ち着きを取り戻してきた。夜の街に明かりは少ない。隣の椅子に腰かけたレイヴンは、夜空を見上げながらほう、と息をついた。

「街が暗いと、ここからでも星がよく見えるわねえ」

「……そうね、明かりがほとんどないもの」

「昔は、ここらへん夜でもけっこう明るかったから、あんまり見えなかったんだけど、これもいいもんね」

グラスを傾けながらゆっくりと話す。瞬く星のひとつひとつが、ぱあっと深い藍に広がるさまにリタはただ放心した。昔、星座のかたちをなにか並べて作る遊びをやっていた気がする。今はもう、星座の名前も思い出せなくなってしまった。

「リタっち」

レイヴンは、少し残っていたグラスの中身を飲み干すと、口を開いた。

「なによ」

「……おっさんにさ、なんか隠してること、ない?」

リタははじかれたようにレイヴンの方を見たまま動けなくなった。やさしい顔だった。責めるような響きもない、何気ない言い方だった。とっさに言葉が何も出てこなかった。そのまま沈黙が走る。すぐになにもないと否定すればよかったのに、完全に機を逃してしまった。

「もしかして、コレの調子があんま良くない、とか?」

レイヴンは笑いながら自分の胸に拳を当てる。その姿がついさっき見た夢と重なる。なにもしなくていいと自分を止めた悲しげな笑顔。

「変わりない、ってずっと言ってたけど……そうなんでしょ?」

やわらかく聞きながらリタの顔をのぞきこむようにする。そこには不安も恐れもなにも感じられなかった。自分の命の話をしているというのに。

「ぜんぜん責めてるわけじゃないのよ、リタっちがずっと何か悩んでるみたいだったから」

「……違う」

「リタっち、もう……」

「やめて!」

何か言おうとするレイヴンをほとんど叫び声で遮った。

「やめて、黙って、聞きたくない!言わないで!」

必死で叫んだ。もう本当のことだと言っているようなものだった。それでも止まらなかった。頭の奥で何度も繰り返し光が明滅しては消えていく。そのたび静かに諦めたように笑う顔と失われていく温もり。幾度も見た悪夢だった。

「あたしがなんとかするんだから、なんでもないことなんだから、あたしがいれば絶対大丈夫なんだから……!」

いつか同じようなことをレイヴンに言った。自分の行く末を案じて、一歩引いていたレイヴンに向かって、魔導器のことは自分がいれば絶対になんとかなると。強く言い切った。それからこうして一緒に暮らしてきた。リタにとって、何物にも代えがたい日々だった。その日々を失わないためには、何がなんでも自分が誓った約束を守りきらなければと、必死だった。

「あたしを誰だと思ってんのよ、見くびらないでよ!それくらい、なんとかするんだからっ……、あたしだったら、できるって言ったんだから」

いつでも予感は付きまとった。レイヴンがふいに自分の前からいなくなってしまうような。そんな理由もない予感は、日に日に大きくなっていった。それはまるで病のようにリタを少しずつ蝕んでいき、リタは自分を保つのにもう精一杯だった。

「絶対に、大丈夫なんだからっ……はあっ、はあっ……」

リタは下を向いたまま乱れた息を吐いた。一気に叫んだせいで呼吸がしづらかった。その上下する体を、ふいに強く包みこまれる。顔をがばりと押しつけられ、視界が暗く狭くなる。

「な、に……」

「ごめん……リタっち、ごめん……」

レイヴンはリタを強い力でひたすら抱きしめ、ごめんとただ繰り返した。押しつけられた胸は本当に温かくて、ひどく落ち着く匂いがして、このままただ泣きじゃくってしまいたい衝動に駆られる。だめだ、だめだ、と必死に抑えつけ、広い胸板を押し返した。

「やめて……そんなこと、聞きたくないって……言ってるじゃない……!」

「リタっち、どうして……」

「やめてよ、そうやって、謝って、満足して……勝手にいなくなるんでしょ……!」

涙がだくだくと滑稽なくらい溢れた。もう唇を噛んでも歯を食いしばっても止まらない。必死に押し返す腕の力が入らなくなっていく。レイヴンはリタの言葉にびくりと驚いたように一瞬力をゆるめたが、またいっそう強く抱きしめてきた。リタの頭をほとんど押さえつけるようにぎゅうと引き寄せる。

「ほんと、ごめん、リタっち……どうして、って、俺のせいだわな……」

苦しそうな声で言いながら、背中に回された腕は何度も力をこめるように動いた。

「リタっちにずっと甘えてたんだわ……大丈夫、ってリタっちが言ってくれるから」

リタはレイヴンの腕にぎゅっと閉じこめられたままで、声を聞いた。

「でも、そう言いながらリタっちがどんな風に思ってたのか、もっと早く気づけばよかった」

「違う……あたしは」

「ごめん、リタっち、俺がこんなだから、一人で苦しんで、辛かったでしょ、すまんね……」

辛そうなかすれた声に、胸が締め付けられる。こんな風に苦しませたくなかったのに、強いままでいたかったのに、リタはがり、と震える手でシャツを引っ掻くようにつかんだ。

「辛くなんかないわよ……もしそうだったとしても、あたしは……解放される気なんて、ない」

離したりするものか、とリタは手に力をこめる。解き放たれて楽になってしまったら、もう目の前のこの温かさを守れないと思った。それはリタを立たせる最後の砦だった。

「……リタっちが苦しむ必要なんてないんよ、こんなことで」

「……こんなことって……なによ」

「え……」

「あんたの心臓のことでしょ……!全然こんなことなんかじゃないわよ、こんなことで済ませていい問題じゃない!あんたの……」

「リタ!……悪かったわ、またやっちまった」

まくし立てるリタを制止して、そっとリタの肩に手を置いた。

「そう、分かってるのよ、でも、まだやっぱり癖が抜けないのかね」

レイヴンは視線をはずし、苦々しい顔で呟いた。

「でももう、リタっちが一人でつらい思いしてるの、見たくないんだわ」

「……! だから、つらくなんて……!」

「だから、ちゃんと考えるから、一緒に。俺の、この心臓のことと、できるだけ長く生きるには、どうすればいいか」

「……あ……」

「リタっちが考え続けてくれるなら、同じだけ、いや、それよりもっと考えるから、ふたりで考えよう。ね、だから、もう一人で抱えないでよ、リタっち」

ぼろぼろと涙の粒があとからあとからこぼれ落ちた。頬が熱くて、視界が滲んで、その涙に濡れた視界の向こうで、レイヴンが眉を下げたまま微笑んでいる。たまらずにリタはレイヴンの胸にしがみついた。

「あたし……っ、ずっとひとりだったのよ」

「うん」

「ひとりで生きてきたの、大丈夫だったの、ずっとなんでもできた」

「……うん」

リタの背中をゆっくりと撫でながら、レイヴンはやさしい声で相づちを打つ。

「でも、もう、いや、嫌なの、あたし、ぜんぜん、大丈夫なんかじゃない……ばかみたい……」

「……そんなことないわよ」

「でも、大丈夫じゃないあたしは……もっといや……大嫌い……」

「俺様は嫌じゃないよ、そんなリタっち」

「おっ、さん……」

「ほんと、こんなおっさんで、頼りないかもしんないけど、リタっちの本当のこと、ぜんぶ聞かせてよ、そうしてくれたほうが嬉しい」

「……っ、あ、うああ、あああ……」

リタはレイヴンの胸を涙でいくつも濡らしながら、嗚咽とともにいくつも言葉を落とした。こんな風にいつか誰かに抱きついて泣いたことがあったのだろうか。ぽろりぽろりと、心の奥から出してほしいと扉を叩いていた感情が、次々とあふれだす。どこにもいかないで、と涙声で繰り返すと、髪に何度も口づけをくれた。そのうち自分でももうなにを言っているのか分からなくなってきて、終いにはバカ、アホ、おっさんのくせに、とただの文句や罵倒を繰り返していた気がする。それでもレイヴンはうん、そうね、と時には笑って応えながら、ずっとリタの背中を抱きしめてくれていた。

 

 

 

「ほい、乾杯~」

「……なによこれ」

「ん、ぶどうジュース?おっさんのはワインだけど」

グラスをゆらゆらと軽く揺らす。鮮やかな赤紫色が、月明かりに反射してきらきらと光った。

「あんた、まだ飲むの?」

「いやさっきまでもそんな飲んでないって、でも、リタっちがせっかく泣いてくれた記念にね?」

「……っ!」

ふざけて笑うレイヴンの顔をばしっと勢いのまま叩く。リタはレイヴンにくるりと背を向け、隠れるように甘いジュースをちびちびと飲んだ。

「痛い……」

しくしくと泣き真似をするレイヴンを横目に、リタはベランダから広がる星空をながめた。まだ夜の気配はじっと立ち込めて明けそうにない。けれど、ぼんやりとした星の瞬きをいくつも見ていると、リタは夜が長いことを嬉しく思えるような気がした。

「リタっち」

「なによ……わっ」

急に呼ばれたかと思うと、ふっと抱き上げられ、膝の上に座らされた。

「急になによ……びっくりするじゃない……」

「ふふふ」

レイヴンはリタを後ろから抱きかかえながら、とても楽しそうに笑う。リタもなんだかこそばゆくて、見えないように俯いて、そっと微笑んだ。

「空がきれいよ」

顔を上げ、背中を預けると、とくん、とくんと、規則正しい音とじんわりとした温もりが伝わる。それだけで、どうしようもなく力が抜けて、安心した。リタは、穏やかな気持ちで、改めてかたく決意した。自分に力があるかぎり、この場所を守ろうと。昨日までとは違う覚悟でそう思えた。リタとレイヴンを繋いだたったひとつのその光を、できるだけ長く、輝かせようと。


あとがき

 

今までおっさんがへたれてる(ひどい)話ばかり書いていた気がして、今度はリタっちの弱さ、もろさについて書いてみたいなと思っていたので、やっと完成できてよかったです。でも書きながらリタっちはすごいなあと思いました。本当に強い女の子だと思います。

誰かの命をその手で救ったり守ったりするとき、それが自分の一番近しく失いがたい人だったら。きっと冷静に考えたり対処したりするなんて、並大抵の覚悟ではできないと思います。リタっちはそこを乗り越えようとするけど、一筋縄ではいかないだろうな、なんとか幸せになってほしいな、と思いながら書いていました。この後もまだきっと苦しさは続くのでしょう。

少し長く語りすぎました……レイリタは本当にまだまだ考えることが多いです。

ありがとうございました。