見えない

ダブルベッドの部屋に一晩泊まることになった、恋愛関係にないレイリタの話です。

一度このCP定番ネタで書いてみたくて、軽い気持ちで書きました。


人生は予想外のことだらけだ。

長いため息をつきつつ、レイヴンはそう思わずにはいられなかった。

宿の一室、ベッドの端にぼうっと座り込みながら、自分の背後で寝息を立てる少女にそっと目を向けた。白いシーツから茶色い頭がひょこっとのぞいている。丸くあどけない形だ。

仕事の途中、偶然に探索中のリタと出会い、帰途をともにしていただけのはずだった。それがなぜか、魔物との遭遇やら森に化かされたりやら、散々歩き回ることになり、気がつけばすっかり陽が落ちていた。

「今日中には帰りつける計算だったのに」

と、リタは不機嫌そうに、しかし疲れで覇気のない顔でこぼした。

そしてやっとたどり着いた宿で、案内された部屋のベッドは一つきりだった。宿の主人は別段申し訳なさそうな様子でもなかったところを見ると、どうやら親族だとでも思われたのだろう。これはどうしたものか、と考えあぐねていたら、自由気ままな同伴者は「疲れたから先に休むわ」と言ってのけ、早々にベッドにもぐりこんでしまった。しかも半分のスペースを残して。思わず頭を抱えた。

そしてそのまま呆然と佇み、今に至る。

この場合仲間として信頼されていると考えるべきだろうか。レイヴンは一人思案した。しかしある種の事柄に対しては極端に疎い彼女のことだから、何も考えていない可能性も十分にある。年頃の少女としての身の振る舞いを、この子は知らなさすぎる。年若い少女に対する一応の年長者の義務というようなものを、ちゃんと果たさなければいけないのではないか。そんな風に、延々と考え続けた。

「……ま、そんなの、本当に考えちゃってんのかね」

リタという少女は、レイヴンにとって何なのか。リタにとって、レイヴンとはどういう存在なのか。そんな面倒なことはなるべく考えたくなかった。これでいいじゃないか、と内なる自分がささやく。信頼されているならば、この関係のままで、何も問題はない。変化を望む必要もない。かすかに聞こえる呑気な寝息もその思考に拍車をかける。

「ううん……」

静寂を打ち破った声にレイヴンは大げさに動揺した。ただの寝言のようだった。目覚めてはいない。ふうと深く息をつき、ベッドの脇の床によろよろと座りこんだ。こちらも道中でかなり消耗している。早く休んで、体力を回復させることだけ考えよう。そうして目を閉じかけた、そのとき。

ぐい。

背中から服を引っぱられた。振り向くと、シーツから顔を出したリタがじとっとこちらを見ていた。睨まれている、というより、完全に寝起きの目だった。

「……なにしてんの」

「何、って……」

「まだ寝ないの?」

「いや、もう寝るとこよ……」

リタは服をつかんだまま、何度かまばたきをして、ますます目を細めた。

「じゃあ、なんでそんなとこに座ってんのよ」

「そんなとこ、って……そりゃ、寝るから……」

なぜか詰問されてるような気分になって、レイヴンはたじろいだ。

「寝るの?」

「ほいよ」

「そこで?」

「そうよ、決まってるでしょうに」

理解できないのかこの暢気な天才少女は――と、だんだん問答に疲れてきて、呆れた口調で言い放つ。

「……あんたバカ?」

数拍のあと放たれたのが、この一言である。

「せっかく宿に泊まってベッドがあるっていうのに、そんなとこに一晩中いてどうしようっての?今日も散々な目に遭ったけど、明日だって街に帰りつくまで何があるか分からないってのに、バカとしか言いようがないわね、もういい歳なんだから、腰でも痛めたらどうするわけ?あたしはあんたを引きずって帰るなんて絶対に嫌よ、わかってんの?」

一言もはさむ暇なくまくし立てられた。しかし、若干寝ぼけているのか声はふにゃりと力なく呂律がところどころ回っていない。けれど言いようのない迫力だけはあって、いろいろ言い返したいことはあったが、面倒になってレイヴンは頭を抱えるしかなかった。

「早くさっさと寝なさいよね」

ぐい、とそのまま引っぱられて、腕だけベッドに投げ出された。リタは不機嫌そうに何度かまばたきをすると、くるりと向こうへ向いてシーツをかぶった。

「…………はあああああ…………」

レイヴンはシーツに顔を埋めながらため息をついた。いろいろ考えていたのが全て馬鹿らしく思えてきた。要するにリタは、ベッドがあるのにそこで休息を取らないのは非合理的で理解に苦しむということらしい。それは彼女なりの気遣いなのだろう。ひどく素直に受け取りがたい形だけれど。リタはあくまで行動を共にする仲間として、同伴者として、レイヴンの身を気遣っている。当然だ。何の不合理もない。そう、むしろ。

――おかしいのは、俺のほうってことか……。

レイヴンは振動を与えないように、そっとベッドに身を横たえた。安宿にしては、悪くない寝心地だ。腕で視界を覆い隠すと、真っ暗な世界に、隣からの寝息だけが聞こえてきた。ほんのりと温かさを感じる。レイヴンはそのまま微睡みに身を委ねた。意識していなかった疲れが、ぬるく体を包み込むのを感じた。

 

 

 

誰かの声を頼りに、ひたすら歩いている。

そんな夢を見たような気がする。

ふと夢の途中で目を開けると、部屋は薄闇に満たされていた。まだ夜は明けていない。窓からは、ほの明るい銀色の光がぼんやり差している。と、その光を遮る影があった。少女の形をしてベッドに腰かけている。

――起きていたのか。

顔だけ向けて、声はかけずに、レイヴンはそのままリタの後ろ姿を見つめていた。白い肌が月明かりに浮かび上がり、綺麗だと思った。否応がなく惹かれる気高さと高潔さ。普段の彼女はそれこそ周りを否応がなく巻き込む炎のようだが、今目に映る彼女は誰にも触れられない孤高の星のようだった。それはきっとどちらも彼女が併せ持つものなのだろうと、レイヴンは記憶を辿りつつ考えた。

ふと、リタが首を巡らして、斜め後ろに目線が動いた。横たわったままで目を開けているレイヴンとしっかり視線が交わる。

「……起きてたの」

レイヴンは一瞬焦って体をこわばらせたが、リタの声色は存外落ち着いたものだった。うっすら見える表情は少し眉をひそめていたものの。

「いつから?」

「……ついさっき、たまたま目が覚めただけだって」

「……ふうん」

リタはもうレイヴンからは視線を外して、再び窓の外を眺めていた。沈黙が訪れる。こんな風に急に黙られるのは苦手だった。何かを試されているような心地がする。

「何か、そこから見える?」

少し考えた挙句、問いかけてみることにした。

「別に、なにも」

返ってきたのはそっけない答えだった。窓はそれほど大きくはなく、到着したときに見たが眺めもそれほど良くはない。レイヴンの姿勢だと、月光がかすかに空の明度を上げているのがわかる程度だった。

「考えごと、してただけよ」

リタは両腕で身体を支えなおし、そう言った。人差し指でシーツをしきりに叩いている。リタの考えていることは分からない。天才と呼ばれるような少女の頭の中など、簡単に分かるわけがない。

――いや……そうだったか?

リタは分かりやすい。感情が表情や仕草にあらわれて、嘘をつけないところがある。そう思っていた。子どもなのだと、年相応の少女なのだと思っていたのではないのか。けれど、今は何も見通せない。だんだんと、近頃は、リタと話していても、表情を見ていても、分からないと思うことが増えた。さっきのように急に黙られて、沈黙を突きつけられると、喉から胸のあたりがぎゅうと締めつけられるような感覚をおぼえた。

衝動が突然ぼこりと泡のように浮かび上がる。分からないことを、見えないものを知りたい。リタの青白く照らされた肌に、触れてみたいと思った。そうしたら、彼女の考えていることがわかるだろうか。腕の中に閉じこめて、その肌の温かさを、じかに確かめてみたいと思った。彼女は驚くだろうか。それは関係を壊す行為だ。仲間としての“レイヴン”に寄せてくれている、彼女なりの信頼を完全に裏切ることになる。それを断ち切ってでも、知りたいと思うのか。レイヴンは、なにかに魅入られるように、ゆらりとリタの方へ手を伸ばした。虫が灯りに吸い寄せられるように。

「ん……おっさん?」

リタは、レイヴンがいつの間にか起き上がって背後に近づいていたのに気づき、ちらりと振り返った。濡れた瞳がこちらをとらえる。伸ばした手が、宙で止まった。

「…………リタっちさあ」

レイヴンは、側にあった自分の上着をリタの肩に羽織らせた。リタは驚いたようにぐるんとこちらへ向き直った。

「な、なによこれ」

「いつから起きてるのか知らんけど、体、冷えるでしょ、そんな薄着でずっとそこにいたら」

「余計なお世話よ、こんな、おっさんくさいの」

「じゃあ、早く戻って寝なさいな」

「なによ、えらそうに……」

上着の襟を指先で擦り合わせながら、ぶつぶつとなにごとか口にしている。レイヴンはふうと静かに息をついた。

「じゃあ、おっさんは寝るわ」

そう言ってまたシーツに潜り込む。目を閉じようとしたとき、リタが声をかけてきた。

「ちょっと、待ってよ」

レイヴンが首だけ動かすと、リタもシーツに潜り込んできた。

「あたしも寝るから」

そうして早々と背中を向けて寝る体勢になってしまった。ただ肩にはレイヴンの上着がかけられている。レイヴンは思わず苦笑した。考えていたことが、すべて馬鹿らしく思えてくるほどだった。今日は色々なことがありすぎて、どこかおかしくなってしまったのだろう。気の迷いというには頓狂な思考。レイヴンは上着からはみ出た丸い頭をそっと撫でて、眠りに身を委ねた。やわらかく、小さな頭だった。

 

 

 

――寒いの。

猫が懐にすり寄ってくるように、ふいに胸のあたりは温かくなった。

――死んでないわよね。

ああ、聞こえてるし、まだ温かいと思える。

――音は正常ね。

本当に、暇さえあれば診るんだな。

――……きよ。

今、なんて言った……。

 

 

 

 

レイヴンははっと目を覚ました。明るい光が部屋にぼんやりと降り注いでいる。ようやく朝かと息をついたとき、違和感に気がついた。胸元に感じる温もり。腕の中に、リタがすやすやと眠っていた。すっぽりと抱きしめるような形で。

「……へ?」

レイヴンの頭はたちまち混乱した。体の大きいこちらが多少身を縮めようとはしたが、それぞれお互いのスペースを守って眠ったはずだ。ダブルベッドといえど、いくら寝相が悪くても、こんなことにはそうそうならないだろう。

「……んん……」

腕の中のリタが身じろいだ。これはまずい。冷や汗が止まらない。早く体を離して起き上がらないといけない、そう思ったとき、リタの目がぱちりと開いた。血の気が引いた。寝起きのまだはっきりしない瞳の焦点がだんだんと合ってくる。

リタはしばらくじっとこちらを見つめたまま、何も言わなかった。ああ、それほどのことでもなかったか、とほっとしたのも束の間、突如、レイヴンの腕を跳ねのけてがばりと起き上がった。

「いやああああああああああああああ!!」

甲高い叫び声が宿中に響き渡った。

 

 

 

朝の爽やかな空気の中、腕組みをした不機嫌な少女と、げっそり疲れた顔をした男が距離をとって立っていた。

「あのさ……」

声をかけようとしたらギロリと睨まれた。あの後、駆けつけてきた宿の主人に対して必死にした釈明など、思い出したくもない。いまだに機嫌の悪いリタは取りつく島もなく、釈明をしようにも、レイヴンも何があったのかおぼろげで、なぜあんなことになっていたのか分からない。自分に落ち度はないと主張したかったが、その証拠もないので言い切ることもできない。昨日からのあれこれを思い出し、苦々しい顔で昨日から数えて通算何十回目かのため息をついた。

 

リタはかたく腕組みをしながらしきりに足を地面に打ち鳴らしている。その表情はなぜか、悲しそうに曇っているようにも見えた。なぜそんな表情でいるのか理解できなかったが、見ていると胸が痛むような心地がした。腕の中にあった温かい感覚を思い出して、さらにもの寂しくなった。

レイヴンはなるべく静かにそっと近づいて、リタの分の荷物をゆっくり持ち上げた。するとこちらを見て眉をひそめながら信じられないとでも言いたげな顔をする。その顔に曖昧に微笑みかけて、レイヴンは二人分の荷物を携えてゆっくり歩き出した。後ろから遅れてひょこひょこと足音が聞こえる。

甘い菓子を買って帰ろう。冷たい空気を吸い込んで、レイヴンは思った。街に帰り着く頃までには、彼女の機嫌が少しでも直るよう、信じもしていないどこかの神に祈った。

 


あとがき

 

一つのベッドで眠ることになる二人というのは、CPネタとしては定番ですが、一度書いてみたかったので軽い気持ちでチャレンジしてみました。自分の中のレイリタだとどうなるだろう、といろいろ考えつつシミュレートしつつ書いていたのですが、わりと予想外の展開になったなあと自分では思っています。もっとおっさんが○○することを選ぶルートとかリタっちが○○しちゃうルートとかもありました(ギャルゲー感)。

一番苦労したのは、おっさんがあれこれ考えすぎて話がまとまらないことです。おっさん視点の話はいつもぐだぐだになってしまいがちなのが悩みですが、けれど自分の中のおっさん像はいつまでもぐだぐだ考え続けるひとなんだろうなあと思います(笑)

ありがとうございました。