その場所に、あなたがいる

Twitterのフォロワーさんの「今までずっと一人だったのに、みんなと旅してる間は騒がしくて賑やかだったから、もう一人でいるのが寂しくて怖くなっちゃったリタ」という呟きをもとに書きました。ありがとうございます。



「リタ」

ふいに声が聞こえた気がした。誰の声だっただろう。
「…気のせいか」
あたしは再び文献を読む作業に戻った。

星喰みを倒して、皆がそれぞれの場所へ行き別れたのはつい先日のことだった。あたしはエステル達のはからいで、新たに研究拠点が作られるまでの間、帝都の空き家に住むことになった。別れ際にみんなは、体に気をつけろとか、ご飯をきっちり食べろとか、そんなことばかり言ってきて、あたしはなんだかむずかゆくなって、
「あーもう余計なお世話よ!あんたたちうるさいのよ!」
とつい大声で怒ってしまった。それでも仲間たちはあたしのことを見てずっと笑っていたのだけど。

「だめだめ、集中しないと」
頭をふるふると振って作業を続ける。今あたしには一刻も早く精霊についての理論を解明する必要があった。それが取っ掛かりになり、魔導器をなくした人々を助けることになるからだった。

「えーっと、これがこうなって……こうすればエアルの変換効率がリスクも抑えて確立できて…精霊からのエネルギーをこうすれば……わかった!!ほら……」
あたしはなぜか振り向いていた。そこには積まれた本と書類と家具とが置いてあるだけだった。もちろん誰もいない。
気づけば、部屋の中は異常に静かなように思えた。よく耳を澄ませば外から帝都特有の喧騒が聞こえてくるのだけれど、その静けさはあたしの耳を圧迫した。
そうか、旅をしている間は、なにかわかるたびにみんなに報告していたからだ。まだそのときの癖が抜けていないのだ。

『リタ、新しいことが分かったんです?』
『リタに任せておけば安心ね』
『リタっちすごいね、さすが天才魔導少女』

旅に出てから、あたしは自分にはできないことがたくさんあるのだと思い知った。たくさんの本を読み、たくさんの論文を書き、魔導器のことならあたしが一番よく知っていると思っていたのに、まだまだ知らないことがたくさんあった。手の届かないことがたくさんあった。それをなんとか解明しようとしている間、みんなは待ってくれていて、新しいことが分かれば一緒に喜んでくれた。それがいつの間にかとても嬉しいと感じている自分がいた。

ぐーっと、お腹が鳴る。そういえばしばらく何も食べていなかったような気がする。旅の間料理は交代で作っていて、みんなの料理はいつもおいしかった。アスピオにいたときはひとりで片手で食べられるようなものばかり食べていたから、ちゃんと食事の時間をとって食べるようになったのは旅に出てからだった。これからは、またひとりで食事を用意して、ひとりで食べるのだ。部屋の真ん中の誰も座っていないソファが、ひどく殺風景にみえた。

いままでこんなことなかったのに。そう思った。
ひとりで研究だけして生きてきたのに。あたしは知ってしまった。誰かと一緒にいれば楽しいということ。喜んでくれたら嬉しいということ。それを知ってしまえば、ここにひとりでいることがとてもつらいと思えた。みんながいない。ここにはあたししかいない。ずっとひとりというわけではないけれど、時がたてばまたみんなに会えるかもしれないけれど、今あたしはひとりだ。自分の思考ばかりが響く部屋の静けさに、あたしはなんだか泣きたくなった。あたしはこんなに弱かっただろうか?今までひとりでもなんにも感じなかったのに。いつの間に、ひとりを寂しがるような小さなこどもみたいになってしまったのだろう?


トントン、とノックの音がした。こんなときに誰だ。来客のようだった。研究関連での訪問だろうか。涙を急いでぬぐってドアを開けると、そこにいたのは。

「よっ、リタっち、ちょっと久しぶりー」
「なっ!?おっ、おっさん!?な、なんで……」
「仕事の帰りよ。リタっちどうしてるかなと思って。ご飯食べてる?おっさんが作りに来てあげたわよー」
「な、なにそれ……いらないわよ!」
こんなときに来るなんて、タイミングが良いのか悪いのか。それでも、あたしはなんだかおっさんに会いたかったような気がした。考えるのをやめるきっかけになったから。こうしてやってきてくれたことが、素直に嬉しいと思えた。
「リタっち、なんか目赤くない?寝てないの?」
「べっ……べつに赤くないわよ!ご飯、作るんだったら作りなさいよ」

おっさんは買ってきた材料で野菜がのったうどんを作ってくれた。作っているのを後ろから見ていると、簡単な作り方を教えてくれた。思ったよりずいぶん簡単なものだった。
部屋の真ん中のソファに座って、ふたりでうどんを食べた。食べている間は無言で、ただひたすらふたりでうどんをすする光景は、なんだかおかしかった。

「ご、ごちそうさま……おいしかった」
「リタっちいい食べっぷりだったねえ、お腹すいてた?」
「べつに……作り置きのサンドイッチがあったしそれ食べようと思ってたのに」
「あれさっき見たけど腐りかけてたわよ」
「う、嘘っ?」
いつの間にか部屋の空気はあたたかくて、さっきひどく殺風景にみえたソファにあたしとおっさんは並んで座っていた。そのことがなんだかくすぐったくて、そわそわした。


「ねえ、さっき、リタっち泣いてた?」
急にそう尋ねられて、びっくりした。
「なによ、あたしがいつ泣いたっていうのよ」
「さっき、俺様が来たとき目、赤かったでしょ」
「だからっ、赤くなんて……」
「なにかあった?おっさんでよければ、話してちょうだいよ」
そう、あまりにも優しい声と目で言うものだから、あたしはなんだか調子が狂ってしまって、ソファの上で膝を抱えた。

「……みんなが、いなくなって、寂しかった、だけ、それだけよ」
自分の膝を見つめながら、ぽつり、ぽつりと言った。
「あたしはずっとひとりでいたのに、みんなと旅して、それで、またひとりになったら……こんなに弱くなかったのに」
子供じみていると思った。あたしは誰かがそばにいることに慣れてしまった。誰かがいないことはこんなにも寂しいのだと、知ることになった。ひとりが寂しいなんて、子供のようだと。
「……そっか、リタっち、寂しいのね」
「寂しいなんて……こどもみたい」
「そんなことないよ、おっさんだって寂しいって思うことはあるわよ」
「おっさんは別よ」
「ひどっ」
昔、もう誰とも関わらないと決めたとき、こんな感情は知らなかった。魔導器だけはあたしを裏切らないと信じて、生きてきた頃。そしてみんなと出会って、魔導器以外にも信じられるものがあると分かった。だけど、魔導器もみんなも、今はいない。ずっと、そばにいたのに。
「みんな、思ってるよ」
おっさんは、ゆっくりとそう言った。
「みんな……?」
「リタっちが寂しいって思ってるとき、みんなも同じようにリタっちのこと考えてるよ。リタっちどうしてるかな、研究は進んだかな、ちゃんと寝てるかな、とか」
「……あたしのこと……」
「少なくとも、おっさんは思ってたよ」
そう、微笑んだ。

「なにそれ、……バカっぽい……」
「おっさんだけじゃなくて、みんな会えなくて寂しいと思ってる。だから、その寂しいって気持ちを抱えてまたみんなに会うために、頑張ってるんよ」
みんな寂しい。あたしはそれぞれの顔を思い浮かべた。それぞれの場所で頑張っている、その光景を。その場所に、あたしもいるのだろうか。

「みんなそう思ってると思うと、少しは気が楽になるでしょ?」
「そ、そうね……うん、ちょっと、うれしい……」
口元がゆるんで、笑みがこぼれた。そうか、みんな、いるのだ。
「リタっち、そんなにみんなのこと好きだったのねー」
先程の落ち着いた口調と一変して、からかうようにおっさんが言う。
「ち、ちがうわよ!えっと……その、旅の間はうるさくてしょうがなかったから、急にひとりになって静かになって慣れなかっただけよ、そうよ」
なんだか照れくさくなって、そうまくしたてた。おっさんはそんなあたしを見て、なんだかむかつく顔で微笑んでいた。

「心臓、みたいからまた近いうちに来なさいよ」
「そうねーリタっちが寂しくないように来なくちゃねー」
「っ!あたしは!魔導器を調べたいから来いって言ってるだけよ!」
「はいはいー」
おっさんはへらへらと笑っていた。おっさんの心臓魔導器は、今世界でたったひとつ残った魔導器だ。おっさんは、ずっとあたしのそばにいた魔導器と、旅の思い出を両方持っている。それは、なんだか不思議なことのように思えた。
「リタっち」
「なによ」
「おっさんが帰ったらまた寂しくなっちゃうんじゃない?」
「ならない」
「えー」

あたしも寂しいと、みんなのことを想おう。そうすれば、あたしもその場所へ行ける。

「でも、まってるから」

寂しいから会いたいの。
だから、明日もここで。