煙草とあなたと私の家

TOVクリア記念に、初めて書いたレイリタSSです。 

チャットモンチーの「染まるよ」という曲を下敷きに書きました。

曲を知っている方はお分かりかと思いますが、歌詞に沿っているのでほんのりBADENDです。

喫煙描写がありますのでご注意ください。


 

「煙草はね、数少ない娯楽だったのよ」

食材の買い物をしている途中、端のほうに並べられた煙草の箱を見たときだった。ふいに、その声を思い出した。

いつものように賑わった店の中、端のほうにきちんと並べられた煙草。しばらくじっと眺めていると、壮年の男性がやってきて一つ箱を取っていった。その背中を見送った後、私は手に抱えた食材の山の中に、煙草を一箱突っ込んだ。

 

 

 

旅の終わりからずいぶん経った。星喰みが消えて、魔導器も消えて、仲間たちはそれぞれ別の場所で活動し始めた。

私は今ダングレストに住んでいる。星喰みを倒した旅の後、私の故郷アスピオはなくなってしまったので、どうしたものかと考えあぐねていたところ、エステルがザーフィアス城の部屋を貸してくれると言ってくれた。けれど、お城の中では、もし研究中に何か起こったときに大問題になるということで、その話は無しになってしまった。 そんなとき、あいつが、おっさんが言い出した。

「ダングレストに俺様の家があるんだわ。あんまり帰ってないし、物もあんまり置いてないから、しばらくの間住んだらどう?」

最初は誰がおっさんの家なんか行くかと突っぱねていた。しかし、混乱が収まるまでは他に方法がないということになり、エステルにも、せっかくこう言ってもらってるんですから、と言われて、成り行きのまま私はおっさんの家に住むことになった。

 

 

「いやー全然物置いてないでしょ、ほとんど居着いてないからね。もうリタっちの物好きーに置いてくれちゃっていいわよ」

最初家に入ったときは驚いた。部屋はがらんとしていて、おっさんの言った通りほとんど何もなかった。最低限の家具と、クローゼットの中に数枚の服だけ。この家でくつろぐ暇などないほど、レイヴンとシュヴァーンの二重生活は大変だったのだろうと思った。おっさんの、知らない昔に少し思いを馳せた。

 

いろいろと荷物を整理していたら、机の端に小さな箱が置いてあるのに気づいた。

「おっさん、これ何?」

「ああ、それね、煙草よ」

「タバコ?」

「リタっち知らない? 大人の嗜好品よ」

そう言って箱から細長い物を一つ取り出すと、口にくわえた。

「ああ、旅の途中で見たわね、酒場で煙たかったやつ」

「そうねえ、吸わない人にとっては煙たいだけだからねえ」

「おっさんも吸うの?」

「まあね、旅の間も吸ってたわよ。みんなのいないところで」

「なんでよ」

「みんなに煙たがられるじゃない」

なるほど、二重の意味でか。

私は妙に納得して、荷物の整理を再開した。

 

 

もう二十歳になった。

お酒も煙草も誰も咎めない。ずいぶん遠くまで来たと思った。

煙草なんて興味もなかったあの頃。気がついたら煙草を吸うためにいなくなっているあいつ。

私は買った食材を持って家に帰り、煙草の箱を持って外に出た。

 

 

家からしばらく歩いた。裏通りは静かで暗かった。もうすっかり夜だ。昔は、夜に散歩をしに外に出るなんてとても考えられなかった。ずっと家に閉じこもって、何時間でも本を読んで、魔導器のことを考えていられた。だから気分転換なんて考えたこともなかった。

夜風はほどよくつめたくて、心地よかった。――ああ、こんな夜だとあいつは寒い寒いってうるさいんだろう。

ぽつんと明かりに照らされたベンチがあった。家々の屋根と、遠くの風景が見えた。山の向こうに月が見える。その世界から取り残されたようなベンチに、私は腰掛けた。

ずっと握りしめていた煙草の箱を開けて、一本取り出す。念じるとポッと炎が出て、先に火がつき赤くなる。最近ようやく安定して確立できてきた精霊術だ。火を起こす手段が少なくなって久しいが、これが普及すれば革新的な技術になるだろう。

煙を吸いこんで、思わず顔をしかめた。初めての煙草は、とても苦かった。なぜ、煙草なんて吸っているのだろう。誰も見ていないし、見ていたところで咎める人間なんていないのに、なぜか後ろめたい気持ちになった。

 

 

 

「煙草は数少ない娯楽だったのよ」

煙草を吸う姿を訝しげに見る私に、おっさんはそう言った。

おっさんは煙草を吸うたびにいちいち外に出ていたのだが、私が、ウザいからしょっちゅう出て行くなと言うと、窓のそばで吸うようになった。

「まあ忙しい中で、酒と煙草くらいしか娯楽がなかったのよ。悲しい話だわね」

「煙草を吸ってたら、楽しいの?」

「楽しい、っていうのとはちょっと違うけど、……うーん、言うなれば、落ち着くって感じかねえ」

「ふーん、あっそ」

「反応冷たっ! 真剣に答えたのに……」

そんな感じで私の生活は続いていった。ギルドと騎士団を行き来して両方の組織で働くおっさんは、ちょくちょくこの家に帰ってきては、私の世話を焼いた。ご飯を作ったり、本の整理をしたり。そのたびに私は憎まれ口を叩いていたけど、そうして誰かにいろいろとしてもらえるというのは、悪い気分ではなかった。

 

 

ある日、おっさんの部屋に入ったとき、机の端に置いてあった箱を初めてちゃんと見た。金色の文字で、キャナリ、と書いてあった。

おっさんはその銘柄しか買わなかった。いろいろあるのに、たまには別のにしないのかと聞いてみると、これが好きなんよ、と小さく笑った。

 

 

私は忘れていた。

それがおっさんの好きだった人の名前と同じだということを。

 

 

火が消えた。私はもう一本取り出して、また火をつけた。

今日買ったのも同じ銘柄だ。キャナリ。箱に彫られた凹凸のある文字を指でなぞる。

私は、あいつの好きだったひとの名前と同じ名前の煙草を吸いながら、昇っていく煙を見ていた。この煙は、どこまで昇っていくのだろうか。どんどん昇っていって、雲になったりするのだろうか。

私らしくない。まるで童話を書くときのエステルみたいだ。だけどエステルは煙草の話なんかきっと書いたりしないだろう。今日の私はなにか浮ついていて、おかしかった。慣れない煙草なんて吸ってみたせいだろうか。

 

 

 

キャナリという名前を思い出したのは、ある日エステルが遊びに来たときのことだった。

「今日は、リタ一人なんですね」

「そうよ、おっさんは仕事よ。どっかで」

おっさんは、仕事がある日でも、いつも食事を用意してくれていた。別にいらない、と言うのだが、ちゃんと食べろとうるさく言ってくるのだ。用意してもらった以上、かたくなに食べないのもなんだか気が悪くて、そのうちに気づけば毎日三食ちゃんと食べるようになっていた。

「わあ、ふたりのお家、素敵ですね」

「ち、違うわよ! いや、違わないけど……」

私とおっさんの家、と言われると、なんだかむず痒くなって、心の奥のほうがこそばゆくなった。

「リタ、これはなんです?」

部屋を見回していたエステルは、窓際にちょこんと置いてある煙草の箱を指さした。

「ああ、それ、煙草よ」

そういってエステルに煙草の説明をする。エステルもおっさんが煙草を吸っていたことは知らなかったようだった。

「なるほど、いつもみんなのいないところで嗜んでいたんですね」

「ほんと、こそこそしてんじゃないわよって感じよね」

「でも、気を遣ってくれてたんですよね」

「ま、まあ……そうかもしれないけど」

エステルは、手の中で箱をくるくると回しながら、物珍しそうに眺めた。

「綺麗な箱ですね、『キャナリ』……」

「おっさん、なんでかいつもその銘柄を買ってくるのよ。たまには他のにしないのって言ってみたこともあるけど……ま、どうでもいいわ」

「あれ……? キャナリって、前に言っていた……」

エステルの言葉を聞いて、私はようやく思い出した。と同時に、おっさんのあの小さく笑った顔が浮かんだ。

 

――これが好きなんよ。

 

おっさんはいつも思い出していたのだ。煙草を吸うたびに、昔のことを、想い人のことを。好きだった、と言っていた。

くらり、と頭が揺らいだ。おっさんは、未だに過去の中で生きているのではないだろうか。私のことなど見ていない。そう思うと、とても説明のつかない感情がわきあがってきた。悔しいような、怒りたいような、叫びたいような、泣きたいようなよく分からない気持ち。

じゃあ自分はいったいなんなのだろう? 今おっさんと一緒にいて、おっさんに世話を焼かれている、あたしはいったいなんなのだろう?

 

 

 

おっさんがいつものように帰ってきた。テーブルの上にある手つかずの食事を見て、声をかけてくる。

「リタっちー、まだご飯食べてないの? ちゃんと食べなきゃダメって言ってるじゃない」

私は部屋の隅で膝を抱えて座っていた。おっさんの声は聞こえていたけれど、聞こえないふりをした。――そんなことが聞きたいんじゃない、そんなことを言ってほしいんじゃない。わけの分からない苛立ちが募って、もどかしくて、自分でもどうにもならなかった。

「あ、リタっち、いたいた。あのね、ちょっと大事な話があるのよ」

おっさんは膝を抱えた私の後ろに座って話し始めた。

「おっさんさ、ギルドの大きな仕事があって、しばらくここに帰ってこれないみたいなのよ。それもけっこう長い間。で、帝都に今空き家があるらしいから、そっちに移り住まない? 帝都ならエステル嬢ちゃんにリタっちのこと任せられるし」

――なに、それ。

「あと、この家、もうすぐ期限が来て、俺様の家じゃなくなっちゃうんよね。もともと借りてただけだったからね。もう二年も住んで、慣れてきたところだったとは思うけど……すまんね」

――それは、なんの冗談なのよ。

「急にこんなこと言ってほんとすまんね。でも、もともとリタっちがちゃんといい環境を見つけるまでは、ってことだったし、いい機会だと思う」

 

それは、ずっと続くと思っていた日々が崩れていく音だった。

私は本を片手に研究して、おっさんがご飯を持ってきてくれて、煙草を吸う姿をこっそり眺めて、時々おっさんと一緒に過ごして。

研究さえできればよかった。それ以外のものはどうでもよかった。でも、私はいつのまにか、こんなに依存していたのだ。心地よく、あたたかな日々に。

「なんで……よ、この家がなくなったら、あんた、どうするのよ」

「ちょっとね、これから大きな仕事ばっかり担当することになりそうだから、各地を旅することになったのよ。だから、もう、なくてもそんなに困らないかなって」

頭の中で冷たい水がぐるぐると回って、わけが分からなくなった。どうしてこの日々は終わってしまうのだろう。なぜおっさんはあたしから離れていくのだろう。大切な仕事だから? 家がもうなくなるから?

「あたしのこと……嫌になったの?」

気がつけばそんなことを言っていた。自分がこんな馬鹿みたいな言葉を口にすることになるなんて思ってもみなかった。

 

いつも片付いた部屋、用意された食事。嫌なこともたくさん言った。でも、私は決してそれが当たり前だとは思っていなかった。その代わりに、おっさんはここにいる限り私の世話を焼いてくれると、安心していたのだ。

「嫌なんて、そんなわけないって! 仕事の件も、家の件も、いつかはこうなるって分かってたことだし、ちょっと仮住まいの期間が長すぎただけよ」

私は分かっていなかった。いつかこんなことになるなんて。それは、私がまだ大人ではないからなのだろうか。

「でも、リタっちにも悪い話じゃないよ、帝都の空き家かなり広いらしくて、しかもちゃんと家具も設備も揃ってるって話よ」

そんなことはどうでもよかった。

――おっさんは、あんたはどうなるの?

――帰る場所もなくなって、ここからいなくなって、それで。その煙草を持って、旅に出るの?

視界が、目の前のおっさんの顔が歪んだ。涙だった。後から後からあふれ出した。そうして初めて気づいた。私はおっさんのことなんて考えていなかった。ただ、私がおっさんにそばにいてほしいと思っているだけだった。ただそのことしか考えていなかった。

「リタっち……!?」

私の涙を見て慌てたおっさんは、そっと私を抱き寄せて、背中をやさしく撫でた。懐かしい匂いがした。余計に泣きたくなるような、そんな匂いだった。

「ごめんねえ……急にこんなこと言い出して。おっさんはまた落ち着いたら家探すわ。リタっちもエステル嬢ちゃんに会いやすくなるし、これまでより研究の便宜も図ってもらいやすくなるし……だから、ね」

おっさんはまるで子どもをあやすように、言い聞かせるように優しく語りかけた。私が、急な話に驚いて泣き出したと思っているのだろうか。半分は当たっているけれど。

 

そばにいてほしい。だけどそんなことを言えた義理ではない。おっさんには立場も責任もある。早く成果を出す責務はあるとはいえ、本の山や紙束の中で研究さえしていればいい私とは全然違うのだ。立っているところも遠ければ、手も届かない。

そう短くない時間一緒にいたのに、私とおっさんはそれぞれこんなに遠いところにいたのかと気づいた。少し考えれば分かることだった。それなのに、私が帰る場所になりたいなどと、どうして言えるだろう。おっさんは不摂生で、勝手で、子どもな私のことを見かねて世話を焼いてくれていただけだ。そんなあたしが、どうして。

 

 

「わかったわ、帝都に行くわ。なによ、これはちょっとびっくりしただけよ。もっと広い場所で研究できるならあたしもそのほうがいいわ。それに、もうウザいことも言われなくて済むし、せいせいするわ」

そう言うと、おっさんは小さく笑った。あのときと同じ、何かを隠した笑顔だった。

 

 

それからすぐ、帝都に移り住む話が進んでいった。おっさんは私に、今まで見たこともないような顔で、元気で、と言うと、あっさりと旅立っていった。おっさんの苦手な、寒い日のことだった。

 

 

なぜ私が今ダングレストに住んでいるかというと、何のことはない、帝都の家に欠陥が見つかったのだ。長年使われた家で、老朽化が原因だという。今まで発見されなかったのが不思議なくらいだったが、修理には長い時間がかかると聞いた。その移住騒ぎの中、私は何を考えたか、研究資金を前借りしてダングレストの家を買うことを思いついた。その分は、必ず研究成果を出して返すことを約束して、契約を結んだ。エステルやフレンの協力もあって、幸いにも突然の思いつきの話はうまく進んだ。そうしてダングレストのおっさんの家は、私の家になった。

 

 

 

煙が痛い。どれくらいここにいただろう。私は、三本目の煙草を出した。

今から思うと、あのときの私はどうしようもない子どもだった。あれから数年経って、私は自分のことを“あたし”と言わなくなった。あいつが知ったらどう思うだろう。またいつものようにからかってくるだろうか。それに、こんなふうに煙草を吸っているのを見たら、なんて言うだろう。煙草はあまり体によくない。きっと怒るだろう。もうここに来てから何回、“あいつ”と言っただろう。ずっと思い出していた。

 

煙草の先から煙が昇っていく。このまま高く高く昇って、大きな雲になればいい。遠くからでも見えるくらいの。そうしたら、ダングレスト上空に突然灰色の雲が、とニュースになって、それを聞いてひょっこり帰ってくるかもしれない。

そこまで考えて、私は帰りを待っているのかと思った。もうあいつの家ではなくなった私の家に帰ってくることはきっとないのに。まだ各地を転々として、次々と仕事をこなしているらしい。噂で聞いた。それと、自分から遠征を引き受けたことも。

帝都に移り住む話がなくなったのも、全部決められたことのような気がした。私が、ダングレストの家に住み続けること。子どもだった私の願いは半分叶ったのだ。半分も、あるだろうか。

もう食事も自分で用意できるようになった。散らかった部屋も片付けられるようになった。もうあいつに世話を焼いてもらわなくても大丈夫だ。

煙を吐き出した唇がふるえた。そこに、雫が流れ落ちてきた。

――そうだ。

 

あいつは、おっさんは、私がもう一人で生きていけるようになったのだから、もう私のそばに帰ってくる必要はないのだ。もう、私には理由がない。おっさんが帰ってくるとしたら、もし私のところに帰ってくるとしたら、その理由はなんだろう。

ただ、好きだった。そばにいてほしかった。それだけだったのに、そのことが言えなかった。あいつはいつも正しいことばかり言うのに。へらへら笑いながら、いつも私のことを考えて、正しいことを言っていた。正しさなんていうものからは、とても遠くにいた奴だったのに。

 

もっとそばにいて、いろんなことを話せばよかった。

いろんなことを、知りたかった。

 

どこかで、私のことを少しでも思い出していてほしい。キャナリのことを思い出すみたいに、どうしようもなく子どもだったあたしのことを。おっさんは別に過去に生きていたわけではなかった。好きだったのだから、思い出すのは当然なのだ。今の私みたいに。

 

「レイヴン……」

口にした名前が、白い息と煙に溶けた。

私の好きだった、ひとの名前。

 

煙に朝焼けが透けて見えた。もうすぐ夜明けだ。かすかな光のはずなのに、ひどく眩しかった。私は煙草を握りしめて、どこかふらついた足取りで帰路へとついた。私のとても好きな人の家だった、私の家へと。


あとがき

 

なんかおっさんがダメな話になってしまった。リタっちにおっさんを思い出させようとすると、おっさんはヘタレになるしかなかった。

チャットモンチーの「染まるよ」は大好きな曲で、あの背伸びしても届かない感じがレイリタにぴったりだなあと思い書いてみました。

 

 

……いつか続きを書きたいと思っていたのですが、この話の後日譚をWeb再録本『tiny eden』にて書くことができました。よろしければ。→サンプル