愛したいなら息をしろ


雪がふっとやんだ。かたくざくざくとしていた靴の裏の感触がさらりと少しやわらかいものに変わる。途端にレイヴンは気が抜けて、近くにあった手ごろな大きさの岩に倒れこむように腰かけた。

「つめた……」

どちらの肩も触れると湿っていた。せっかく着込んできた防寒着が紙同然に思えるくらい、氷刃海の風は冷たかった。前に来たときよりさらに寒さが増している気がする。

気候の変化か、それともたまたま今日が極めて寒い日だったのか、そのせいで方向感覚を失いかけて、やっと氷でない地面に辿り着けたのだ。山を見ながら西に来たはずなので、もう少し進めばムルロキア半島の方面に出られるはずだった。でも今すぐ歩き出す気力がなかった。薄灰色の空を見上げて息を吐く。風に揺られて棚引く白い吐息を目で追いかける。その先に、赤い炎が見えた。

(あれ? もうお迎えが来ちゃった?)

幻覚を見るくらいに消耗していたのだろうか。旅人の焚き火でもなく、魔物の影でもなく、あたたかく懐かしい炎がそこにあった。レイヴンの手がひとりでに伸ばされる。

「なにしてんのよ」

炎は、少女の声をしていた。

「……あれ」

赤い炎は見慣れた少女の像を結んだ。不思議そうにこちらをのぞき込んでいる。

「岩の上におっさんが乗っててびっくりしたわよ」

「……ショートケーキのイチゴみたいに言わないでよ」

「そんないいもんじゃないでしょ」

「ありゃ厳しい……」

「氷刃海から来たの?」

「そう、でもリタっちがこんなところにいるなんて思わなかった……珍しいね」

「珍しくもないわよ、ここ、シャイコス遺跡の近くだし」

レイヴンは辺りをきょろきょろと見回した。西に向かっていたつもりが、まったく反対方向に進んでいたらしい。よくここまで来られたものだと頭を抱える。

「昔は、よく流氷を見にきてたの」

「じゃあ、今日は?」

「今日は、雪が降らないかと思って」

リタは空に向かって手のひらをかかげる。白く鈍い光が指先を照らす。

「……リタっちがそんなお天気を気にする子だと思わなかった」

「どういう意味よ」

「いやいや」

「帰り道、案内してやらないわよ」

「そりゃ困る」

どこか不満げな顔を得意げな笑みに変えて、リタはさくさくと歩き出す。彼女にとっては庭みたいなものなのだろう。ほら、と伸ばされた手を取ると、それは炎よりも確かに優しく柔らかいのだった。