ある失恋のはなし


 リタ=モルディオの家には、たびたび怪しい男がやってくる。派手な色の羽織を着ているので研究所の窓からでも目に留まる。出てきたモルディオの前でぺこぺこと頭を下げて笑っている様子は、なんというか娘に叱られた情けない父親のように見えた。モルディオは家族がいないと聞いていた。一人離れた小屋で暮らしていたモルディオを周囲では内心良く思わない人間は多かったが、ずっとそんな奴らのことを馬鹿馬鹿しいと思っていた。人を見抜く力のない奴らだと。

「ちょっと、聞いてる? 寝ぼけてんの?」

 気がつくと、紙束を手に持ってパタパタ振るモルディオの顔が間近にあった。とっさにその場から飛び退いた。

「うわっ……! なんだ急に、驚くだろ……」

「何回も呼んでるのに返事しないあんたが悪いのよ」

 モルディオは口が悪くそっけないところがあるが、ここ最近では表情がやわらかくなった気がする。あの男のおかげなのだろうか。旅のあいだに長らく生き別れていた父親と再会した――そんなところだろうか。時々ふたりで言い合いをしながら市場に出ている姿も見かけるが、ずっと一人だった彼女を知っているからこそ、感慨深かった。

「……よかったな、モルディオ」

「は? なにが?」

 わけがわからないというように首を傾げる。

「最近、よく来てるあの男……じゃなくて、男性のお客さん、仲よさそうだから、よかったなって」

「な、な、な、仲よさそう……っ? そう見えるの?」

 モルディオはなぜかそわそわと慌てだして、恐る恐る聞いてきた。

「ああ……? なんというか、気心知れてるんだなって感じするよ、本当に家族っぽいっていうか」

 大きな瞳がぱちぱちと見開かれる。そうして、恥ずかしそうにうつむいた。

「そうなのかな……あいつと……いつか、なれるのかな……」

 胸に紙束を抱きしめて、心からうれしさがついあふれたというように、ふわり微笑む。どきりとして、目が離せなくなった。同時に跳ねた胸の奥がちくりと痛む。――この感覚はなんだ?

「リタっちー、いるー?」

 間延びした声が部屋の外から聞こえる。モルディオはぱっと顔を上げて、片手でなでつけるように前髪を整える。

「家で待ってろって言ったのに……ごめん、これ預ける!」

 持っていた紙束を渡して、扉の外へ駆けていく。部屋の外から、二人の言い合う声が聞こえてくる。何を言っているのかは分からなかったが。

「なるほどなあ……」

 脱力したように机にばたりと倒れ込む。頬に当たった論文用紙はさらりとしていて、まだほんのりと温かかった。