真昼のポラリス

SCC関西25、テイリン16にて無料配布させていただいた夏の学パロレイリタシュSSです。

シュヴァーンとレイヴンが双子の兄弟で、リタと一緒に暮らしています。


 紙にぽたりと汗が落ちて、リタは思わず顔をしかめた。式を綺麗に書き留めていたノートの白に一点の染みがつくられ、ぽいとペンを放り出す。

「暑いんだけど」

 物理準備室は最近エアコンの調子が悪く、作業もはかどらなければ気分も落ち着かない。夏もいよいよ盛りを迎え、外では蝉がいっせいに声をあわせて鳴いている。

「ねえ、聞いてんの」

 レイヴンは、机の向かい側で涼しい顔をして同じようにペンを走らせていた。

「おっさんに言われてもどうにもならんわよ……」

「このままじゃ集中できない」

 リタはキャスターのついた丸椅子を後ろにすべらせ、冷蔵庫を開ける。物理準備室の奥には小さな冷蔵庫があって、いつも冷えた麦茶だとかジュースだとかがいろいろ詰められている。レイヴンがこまめに買ってきているのだ。

「……なんにもない」

 冷蔵庫の中は見事に空っぽだった。ウイーン、と機械音だけがむなしく響く。

「あー、そういや昨日シュヴァーンが家に持って帰っちまったのよね」

「なんで?」

「開封後の飲料水をこんなにたくさん長期間夏場の学校に置いておくのは良くない、とか言ってた」

「じゃあ家の冷蔵庫にあったのって、ここにあったやつ?」

「そういうことね」

 重いペットボトル数本を真面目に抱えて帰る姿を思い浮かべる。

「おろ、その本、今日が返却期限じゃない?」

 レイヴンが机の上に開かれていた本を指さす。

「シュヴァーンにまた叱られる前に、返しといたほうがいいんじゃない?」

「……ちょっとくらい大目に見てくれたっていいのに、頭固いんだから」

「しょうがないねえ、おっさんが逆の立場ならなーんにも気にしないんだけど」

「あんたに本の管理任せてたら、あっという間に資料室から本がなくなりそうよ」

 リタっちひどーい、と唇をとがらせる男を放置して、仕方なく両手に本を抱え立ち上がる。がらりとドアを開けると、廊下から温い空気が流れ込む。

「ついでに、シュヴァーンにアイスでも買ってもらったら?」

「そんなの買ってくれないわよ」

「リタっちがお願いきゅるん、って可愛くおねだりすれば……」

 レイヴンの言葉を最後まで聞き終わる前に扉をぴしゃりと閉める。シュヴァーンは放課後のこの時間ならおそらく資料室にいるはずだった。

 

 

 階段を二階分降りて、廊下をまっすぐ進んだ奥のほうに資料室はある。ごく小さな部屋だが、リタにとっては興味深い本の数々が揃っている。

「シュヴァーン、いる?」

 扉をガラリと開けると、シュヴァーンはすぐ脇の机に座って本を読んでいた。窓から入ってきた風が扉のほうへ吹いてくる。

「リタか、どうした」

「これ、返しにきたのよ」

 抱えてきた本を差し出すと、少しだけ驚いたようにリタを見る。

「リタが返却期限を守るなんて珍しいな」

「あんたにまた小言言われるの嫌だし」

 シュヴァーンは机の下からバインダーを取り出し、紙の欄の右端にペンで丸をつけた。

「ここは空調なくても案外涼しいのね」

「あまり陽が当たらないせいかもな、物理準備室は三階だから余計に暑いだろう」

「そうね、あいつはずっといても平気そうだけど」

「まあ、そうだろうな」

 シュヴァーンがふっと口元を緩める。リタは思考が溶けるような暑さが大の苦手だが、二人は毎年平気そうに過ごしている。家で冷房の温度を下げすぎるとどちらにも叱られる。

「暑くてはかどらないなら、ここで涼んでいくか?」

「そうね……」

 本の匂いがそよぐ風とともにやってくるこの空間の静けさは心地よかった。リタは本棚のそばに置かれた椅子に腰かけ息をつく。

「はいはーい、お届けものでーす」

 静けさに身を委ねかけたところに剽軽な声が割り込んでくる。レイヴンが青い箱を持って意気揚々と部屋に入ってきた。

「なによ、あんた、何しにきたの」

「冷たいお言葉……シュヴァーンもそう思わない?」

「何の用だ」

「ひどい……いいもん持ってきたのに……」

 箱で顔を隠してうつむく。箱には『ソーダバー』と書いてあった。

「この部屋涼しいからリタっち長居するだろうなーって思って、差し入れ持ってきてあげたのに、ほんとひどいわー」

 ぶつぶつと言いながら箱を開けて水色のアイスバーを取り出す。はい、と差し出されたので、流れで受け取る。

「シュヴァーンもいる?」

「そういう甘いのは好かないんだが」

「まあ、俺もだけど、こういうのは雰囲気かなってさ」

 しぶしぶシュヴァーンが受け取ったのを見て、レイヴンは箱を机の上にぽんと置いて、ビニールを剥きはじめた。そうして、三人でアイスバーを黙々と食べた。こんな部屋の戸口に三人そろって突っ立って、雰囲気も何もなかった。蝉の声が少しだけ弱まって、また勢いを強めるリズムが、しゃくしゃくと咀嚼する音に混ざる。

「夏、どっか行く? 海とか」

「日焼けするじゃない」

「リタっち泳げないもんねえ」

「俺が教えてもいいが、お前を放置するとよからぬことをしそうだ」

「あ、あんた、まさか水着の女目当てじゃないでしょうね」

 アイスをぷらぷらと揺らし、明後日の方向を向くレイヴンを睨む。

「うそうそ、俺もちゃんと一緒に泳ぐって、二人ともコワイんだから……で、夜になったら花火とかしてさ、いいんじゃない?」

「まあ、悪くない計画だな」

 最後のアイスの一欠片を飲み込んで、リタは目を閉じる。瞼の裏に、大きな海がざあっと広がる。夜が更けてはじけた光の向こうに、二人が並んで微笑んでいた。

「……そうね、行ってもいいわよ」

 リタが呟くと、レイヴンとシュヴァーンは、同じ顔でやわらかく目を細める。揺れる光の残像の先に、遠く輝く星々を見た。言葉もなく三人で見上げた星空が、リタの瞳には確かに映っていた。