カテゴリ:前提・三人



校長室のソファは腰が深く沈みすぎる。それでいて上等な革はなめらかすぎてあまり落ち着かない。レイヴンはシャツのボタンを留めながら、窓辺に立つ背を見やった。赤みがかったスーツは皺ひとつなくカーテンの隙間から射す陽に照らされている。 「あの子の様子はどうだ」 「あの子って、どの子ですか」...
がらんとした部屋は、まだほのかに甘い香りが残っているような気がして、どこかに隠れているんじゃないかと思わせた。エステル、そう呼んだ声はしんと空気に沈んで溶けた。...
はじまりについて考えることがある。 どこからきてどこへ行くのか。ぼくらはどうしてここにいるのか。 それを口にすると、そばでいつも笑う顔があった。自分の顔とまちがえるくらいによく似た、でもはっきりと自分とは違うとわかる顔。 ――むずかしいことばっかり考えるんだから。...
  5 光  だれか、だれかここにきて。  目尻から流れ落ちる涙の熱さで、わたしは目覚めたのだとわかった。ぼんやりとした頭で、指の間から天井を見つめ、シーツにもう片方の指を這わせ、ここが寝室のベッドだと気付いた。親しみ慣れた匂いをそっと吸い込む。...
  4 ひとりよがりな命 「眠れないんですか、レイヴン?」  わたしがそう声をかけると、窓辺に立つ影はゆっくりとこちらを向いた。 「いんや、ちょっと考え事よ」...
  3 あの日あなたが決めたこと  あの日、彼は冷たい雨の中に立っていた。 空は暗くて、すべてを飲み込みそうな大きな雲が、樹の上に横たわっていた。わたしは突然の雨に洗濯物を取り込んでいる最中だった。そのとき、見覚えのある姿を庭先に見つけて、声をかけたのだった。 「……レイヴン? どうしてこんなところに」 「……ああ、嬢ちゃん……」...
 2 赤い鉛  城の中はいつも慌ただしい。いろいろなことが変わりつつある中で、城にいる者は誰もが大忙しだ。副帝の仕事のため、帝都に来るたび、こんなに人が多かっただろうかと思う。...
  1 魚  窓の外で花がはらはらと風に流れていた。それをしばらくぼんやりと眺めて、手が止まっていたことに気付く。満開になったばかりのハルルの花は、その鮮やかさがこの机からもよく見える。...
まだ少しだるさの残った体を引き上げて、レイヴンはベッドから抜け出す。シュヴァーンとリタがぴったりと寄り添ってよく眠っているのをたしかめて、部屋をしずかに出て行く。...

さらに表示する