月下の儀

逃避行する騎士姫シュヴァリタの話です。

二人きりで逃げ出して、小さな村の宿屋で夜を明かす、ある夜の話。


いつからか、夜は許される時間のように思えた。すべてを照らし出す光は潜み、闇に紛れて隠れる場所を作ってくれる。けれど、時に夜闇はうねるように迫り、重苦しくのし掛かってくるかのように、シュヴァーンは感じるのだった。

安宿の狭い部屋と小さなベッド。腕のなかに風が吹きぬける。ふっと目を開けると、そばで抱きこまれるように眠っていたはずのリタがいなくなっていた。が、もう一段階意識を覚醒させたシュヴァーンはすぐに気がついた。リタは起きあがって、ベッドの足元の側にすわり窓の外を眺めていた。

「起きていたのか」

「ん、シュヴァーン……もう、寝るわ」

「いや、咎めたわけじゃない、なにを見てたんだ」

「べつに、なにを見てたってわけじゃないけど、月が明るいから」

リタの視線を追って外に目を向けると、丸い月が煌々と輝いていた。何もない景色のなかにぽっかりと浮かび、圧倒的な存在感を放つ。思わず目を細めるくらいの眩しさだった。

「まぶしい」

目を細めたのと同時に、リタがぽつりと呟く。なぜかリタは頭にシーツをかぶっていて、時折手を頭のほうにやり、ぎゅっぎゅっと引き寄せる仕草を繰り返した。月明かりに照らされたその姿は神秘的にも見えて、月よりも自然と見惚れた。シュヴァーンがじっと見ているのに気づいたのか、リタがちらりとこちらを見やり口を開いた。

「隠れてないと、見つかるかもしれないでしょ」

シーツを両手でおさえながら言う。少し胸元のゆるいローブからのぞいた、赤い点の残る鎖骨が、青白く浮かんだ。

「心配しすぎだ。夜のあいだ、この近辺に人の気配はないし、なにより部屋の中より外のほうが明るいから見えない」

少し口元に笑みを浮かべ、言い聞かせるように言うとリタは少し顔をしかめ、窓の外にもう一度目を向けた。

「……なら、あたし馬鹿みたいじゃない、こんなことして」

そうしてシーツをはずそうとするリタの手を、シュヴァーンはとっさに押さえた。反射的に動いていた。驚いたようにリタがこちらを見る。

「いや、まるで花嫁みたいで、綺麗だから、そのままでいてくれ」

シーツの上からそっと頭を撫でると、リタは丸い瞳をぱち、ぱち、と繰り返し瞬かせた。

「……花嫁?」

聞き返されて、シュヴァーンははっと手を離した。月がいっそう白くリタの姿を照らしだした。リタの口にした言葉がさえざえと二人のあいだに浮かび、ガラス細工のようにぱりんと静かに溶け消えた。その破片が降りつもるあいだ、二人はなにも口にしなかった。

「……すまない」

シュヴァーンが下を向き、重々しく謝ると、リタは小さな手をゆっくりと伸ばし、力なく垂れ下がる浅黒い手に重ねた。リタの手は夜風にさらされたせいかぬるく、なめらかだった。

「いいわ、もうずっと一緒にいるなら、同じことでしょ?」

力づよい眼差しで笑ってみせた。シュヴァーンは崩れおれるかのような動きで、リタの白い手を両手でとり、口づけを落とした。はじめは手の甲に、それから、ほっそりとした薬指に。形のない証をなぞるように、唇をすべらせた。かすかな震えが伝わる。いつか、きっと、どの言葉も口にできなかった。また粉々に溶けてしまう気がしたから。

「……ずっとよ」

右手が伸びて、シュヴァーンの服をぎゅうとつかむ。シュヴァーンは白い布地に隠れたさみしげな瞳を覗きこみ、そっと顔を寄せた。月光がふっと雲に遮られ、おごそかな暗闇が、二人をやさしく包んだような気がした。


あとがき

 

逃避行騎士姫シュヴァリタが書きたい!だけで書いた話です。

騎士姫シュヴァリタは、主従関係が加わるのがまたレイリタとは違った雰囲気ですよね。

シュヴァーンが敬語を使っていないのは、それだけ進んだ関係になっているということなのだと思います。リタっちの鎖骨とか……(小声)

不安を埋めあうように、寒さから身を守るように身を寄せ合う二人が好きです。

ありがとうございました。