青い火

雪の中の帰路をゆく二人の話です。


ずぼ、と足が沈む。すんでのところで踏みとどまる。後ろを振り返ると、点々と足跡が続いていた。続けてきたというべきかもしれない。

そんなことの繰り返しだった。リタは途方もない行路に思わずため息を漏らす。最初は新雪に足跡をつける楽しみも少しはあったが、もう気力が尽きてしまった。悪路には多少慣れているはずなのだが、疲労が溜まっているというより嫌気がさしている、と言うほうが近かった。

様子が変わったのは隣を歩く男も同じだった。最初は「うおおー寒い寒いー!リタっち火出してあっためてよー」などと戯言を吐いて身振り手振り交えながら喋りつづけていたが、いつしか口数が少なくなり、今は黙々とリタの隣で白い地面を踏みしめている。空からはちらちらと小さな粉雪が舞い、二人の肩に落ちては消えていく。

「ねえ、疲れてないの?大丈夫?」

リタはほんの少しだけ心配になって聞いてみた。

「おんや、リタっちおっさんの心配なんかしてくれんの?やっさしー」

「……聞いて損したわ」

もともと体力面での懸念などなかったが、その声色には、疲れとは違ったものが少しみられた。

別に遭難しているわけでも探し物をしているわけでもない。このまま真っすぐ方角を間違えずに進めば街に帰れる。ずいぶんと長い帰り道に思えた。

 

ふと、レイヴンが立ち止まったかと思うと、進行方向を外れて歩き出したので、リタは驚いて後を追いかけた。なにかを見つけたような足どりだった。

 

レイヴンは地面にかがみ、何かを取り上げてみせるような動作をした。それを覗き込むようにして前に回ろうとする。手には、一輪の花があった。薄青い、透き通るような花びらを持ち、それは結晶のようにも見えた。少し変わった造形を、リタはどこかで見たような気がした。

 

「これ……なに?花?こんなところに……」

「これは……」

手にした花を見つめて、レイヴンは意味ありげに呟く。信じられないものを見たような目。

 

「なに?あんた何か知ってるの?」

リタが聞くと、一瞬目を細め、寒さに耐えるような表情の動きをみせた。そのすぐあとに、ぴゅうっと寒風が吹き去る。

 

「これは、たぶん、キルタンサスの変異種だ」

「変異種?」

雪の欠片が花びらに降りおち、すうと消える。

「昔そんな話を聞いたきりだったけど……めったに見られない、雪原の中に咲く変異種」

キルタンサスという名前に、リタはレイヴンのその表情の意味を悟った。男には特別な意味を持つ花の名。リタには覗こうとしても触ろうとしても届かない、深遠の場所。

「いや、こんなところでお目にかかれるなんて思わなかったわ」

そう口にするレイヴンは存外穏やかな表情をしていた。それを見て胸の奥に少しほどけたような温かさが宿る。綺麗な色をした花びらは、植物に大して興味のないリタでも見ていて惹かれるものがあった。

じっと花を見ていると、レイヴンがつい、と花を差し出してきた。突然のその仕草に少し戸惑ったが、そっと手を差し出して受け取ろうとした。

 

「え」

リタがうっかり花を取り落としたのと、レイヴンが後ろ向きに倒れたのは、ほぼ同時だった。

 

どさり、と音がして、白い粉塵が舞いあがる。リタは一瞬凍りついたように固まったあと、倒れたレイヴンのもとに駆け寄った。

「ちょっと!おっさん、なに……」

何か異常が起きたのかと思えば、レイヴンの両目はしっかりと開いていた。意識があるのであれば体に何か異常があったのかとリタは肩をつかむ。

「怪我したの?それとも気分でも悪いわけ?」

冷静を装いながらも焦って検分しようとするリタの手を、浅黒い手が制止するようにつかんだ。

「大丈夫」

その一言だけだった。リタはさっぱり訳がわからず、はあ?と聞き返すだけしかできなかった。

「大丈夫って、なにがよ」

焦りが、だんだんと不安と違和感に変わっていく。

 

「リタっちが心配するようなことはなんにもないよ」

 

歌うような口調で喋る。白い息が空気のなかに溶けていく。どうにも会話が噛み合わない。リタはふと取り落とした花のことを思い出し、辺りを見回した。花はリタのすぐ側に落ちていた。それを拾いあげ両手に持つと、レイヴンは柔和な微笑みを向けてきた。

「変異種だと、花言葉も違ったりするのかね」

「……そんなの、あたしが知るわけないでしょ」

なぜ雪の中で座りこみこんな話をしているのか。苛立ちよりも不可解に思う気持ちのほうが強かった。

「寒いなあ」

灰色の空に手を伸ばしながら、そんなことをぼやく。寒いなら、どうして早く起き上がらないの——そう口にしようとして、一瞬の吹雪がそれを遮った。白塵の中で、穏やかな顔をして雪に沈む男、リタは薄ら寒さをおぼえた。まるで、そこが、最果てであるように——棺の中を覗きこんでいるような、そんな気持ちにさせられた。覚えがあるわけでも、今まで想像したことがあるわけでもないのに。両手に花を持ち佇む自分は、さしずめ葬列者のようだと思った。リタは、頭の中に突如流れこんできたこの光景に、耐えがたい痛みにも似た恐怖を感じ、振り払うように歯を食いしばり頭を振った。

 

 

「…………リタっち?」

気がつけば、レイヴンはいつの間にか起き上がっていてリタの前に座りこみ、案じるように顔をのぞきこんできていた。

「ひゃっ!?な、なんなのよあんた」

リタは驚いて思わず後ずさってしまう。

「何って……なんかひどい顔してたから」

レイヴンの顔をじっと見つめる。なにも変わったようなところはなかった。あったとしても、リタに分からないことは明白だった。

ふと下を向くと、胸ポケットに、薄青のキルタンサスが差さっていた。そのとき、何ともつかない気持ちがない交ぜになって、ころりと目から零れおちた。レイヴンの穏やかな瞳。やすらかな微笑み。幻想のように透き通った花。

 

「……早く、さっさと帰るわよ」

リタはうつむきながら顔を背け立ち上がった。袖で顔を隠し見えないようにして。

「え、なに、リタっち、どうしたの」

「なんでもない……さっさと歩きなさいよ!」

力まかせにレイヴンの服の裾をつかみ、ずんずんと前に歩き出す。雪に沈む足を無理やり引きずって進んだ。冷たい風が頬を切るように吹きすさぶ。その風の中に、いくつもいくつも、熱を持った雫が溶けていった。


あとがき

 

TOLの挿入歌に『蛍火』という曲があるんですが、その曲の中に葬列者を思わせるような歌詞があって、聴いていたらふと書いてみたくなりました。こういうよくわからない話を書いて自分で満足するのが好きです……。

おっさんの死の気配に触れるたび心をかき乱されてしまう、そんなリタっちがいとおしいです。

ありがとうございました。