雨に降られるレイヴンと、リタの話です。


頭上の庇から絶え間なく雫が降り落ちる。

ダングレストには珍しい本降りの雨だった。

人通りの少ない路地は、突然の雨もあって人影ひとつ見当たらない。レイヴンは深いため息をつきながら、建物の陰から空の様子を見ていた。いわゆる雨宿りだ。

けれど雨はそんなに嫌いというわけではない。どこか安心する自分がいる。

 

雨に思い出すのは、なんだろうか。昔令嬢の家に忍び込み雨宿りをしたこと、煙る街の陰に隠れ任務を遂行したこと、どれもつまらない記憶しかない。

——それは誰の記憶だろう?

それらは文字通り他人の記憶としての認識しかない。もうどこにも存在しない人間の。

「……いるのよね、これが」

意識せずに言葉が口からこぼれ落ち、レイヴンはふらりと雨の中に踊り出た。つむじ目がけて冷たい雫が落ちてくる。あっという間にびしょ濡れになる。

 

そのまま、石畳を雨が打つのをじっと見ていた。

 

雨の音がすべてを覆い隠して、時間や感覚を忘れさせた。雨に打たれるのは気持ちがよかった。何もかも洗い流してくれるようで。何もかもを罰してくれるようで。

 

「……おっさん!?」

どこからか声がした。雨音のせいで方向が分からなかった。駆け寄ってくる足音が迫ってきたかと思うと、正面から体当たりされた。

「あんた、何この雨の中でボサッとしてるのよ、バカなの!?」

リタは声を荒げながら、レイヴンの腕を屋根の下へと引っぱった。足を動かそうとしなかったので、リタは驚いて両手で服をつかんできた。

「ちょっと聞いてるの!?こんなとこにいつまでいるつもり……っ!」

言葉の途中で、小さな体を腕のなかに収めていた。リタの体も冷たく湿っていた。雨の中探しに来てくれたのだろう。

「ちょっ、なによ……!」

リタは戸惑って身じろいだが、レイヴンが一言も喋らないので、為すすべがないというようにそのままになった。

レイヴンは目を閉じて冷たいぬくもりをただ感じた。何も聞こえない、何も見えない、そのことがひどく幸せに感じられる。背中に回した手で濡れた髪に触れた。それから頬にすべらせた。目を開いた。

リタは少し不安げな表情で、しかし真っすぐにこちらを見つめていた。瞳がゆらゆらと揺れて、前髪から滴る雫が鼻筋を伝っていく。

「好きだ」

そう呟くと、赤い唇に口づけを落とした。湿った唇からは雨雫の味がした。寒いという感覚をようやく覚えた。震えながら、暖を求めるように小さな体を抱きしめた。

——これが証明ってやつなのかね?

遠くで、聞き覚えのある誰かの声が、そう笑った。


あとがき

 

おっさんは雨に降られるのが似合うと思います。

余談ですが、「誰かの声」は他の短編にも登場しているんですよね。

ありがとうございました。