どうかしてる

Twitterで開設しているお題箱にいただいたお題で書いたものです。

投稿してくださった方、ありがとうございました。


例えば、大きな瞳で見つめられるとき。

彼女は真実を探求する者にふさわしい、大きな瞳を持っていた。何かに出会うときらめき、感じたものがすぐに現れる。そんな様を見るのが眩しくもあった。

けれど自分が対象になったときは話が別で、じっと視線を向けられると、何を思われているのだろうと気になってしまう。その真っすぐな眼差しに、なにもかもを見通されている気がして、落ち着かない。自分が考えていること、隠しているもの、すべて暴かれてしまったら、そんなことを考えて恐ろしくなる。深い緑が目を逸らしても焼き付いて、脳裏でちかちかと点滅する。

そういえば、自分も彼女と同じような色の瞳を持つことに、鏡を見て思い出した。あちらのほうが、引き込まれそうに深くて濃い色だったと思い出す。自分の瞳は、なにか不純物でくすんでいるようにも見えた。そんな風に思えるのは何故だろう。

たまらなくなって、視界を閉ざした。

 

 

例えば、寝姿を見たとき。

研究所を訪ねると、本や紙の山の中で眠りこけていることがよくある。寝食忘れて打ち込む姿もよく見ているだけに、眠っている姿を見ると安心する。今日訪ねると言ってあったはずだが、そんなことは彼女にとって些細なことなのだろう。腕を差し入れ、小さな体を持ち上げる。肩や腕、上半身は痩せて軽いが、脚は少し丈夫な重さを感じる。食事量が適正になったのか、部屋に閉じこもってばかりいるのか。脇のベッドに横たえると、そのまま仰向けの状態ですやすやと寝息を立てる。

頭を掻きながら、つくづく無防備なものだと感心する。警戒心などあったものではない。けれど、警戒されるような対象にないということは、ここに招かれた者の特権でもある。それを喜ぶべきなのか、戒めるべきなのか。どくりと体のどこかが波打ち息苦しくなる。——他でもない自分が、危険となり得る可能性があること。腕に抱えた感触を思い出し、頭の中がぐにゃりとねじ曲がる。

「……馬鹿なこと考えてんね」

自分の冷ややかな声で我に帰る。思い出した呼吸が荒い。数回深く息を吸って吐く。ベッドからの寝息はまだ規則正しい。手早くメモを残して、逃げるように部屋を後にした。

 

 

例えば、触れられるとき。

制御盤をはさんで、向かい合っている。いつもの検診の時間。彼女は一心に映される文字列を追っている。ノートに書き留めるときに目を伏せると、睫毛が長いことがわかる。

音を立てる機構に、自分がただの対象物であることを思い知る。一体でありながら切り離されている。そう自覚しなければならないと思った。ここから向ける視線も、湧き上がる感情も、この場には存在しないものだ。

「おっさん」

名前を呼ばれてはっとすると、いつの間にか彼女は目の前にいた。

「痛くない?」

そうして胸に埋め込まれた機構に指で触れる。やけに大きい鼓動が響くのを聞いた。

「ど、どしたの?なんかおかしいとこあった?」

動揺で声が震える。何をこんなにうろたえることがあるのか。自分でもわからない。

「別に、そうじゃなくて、あんたって、正直に言わないから」

つう、と表面を指先がなぞる。

「……数字は嘘をつかないけど、でも、ちゃんと言葉で言ってもらわないとわからないこともあるから」

大きな瞳が見つめてくる。ああ、やめてくれ、と顔を背けたくなる。心の中身が、本当に漏れ出しているのかもしれないと思えてくる。息が詰まったように苦しい。何かが胸の内を荒々しく叩いている。

心臓に触れる手を掴み、引き離す。これ以上はおかしくなる。——溢れる汚れたものをこれ以上見透かさないでくれ。

「……どうしたの?」

掴んだ手を握り返して、彼女は尋ねてくる。心配しないでくれ、気にかけないでくれ、その手を離してくれ、次々浮かぶ思いに唇を噛んで、でも動けなかった。

「……どうかしてる」

「え、なにそれ、どういうこと」

彼女は驚いたように目を丸くする。どうしてしまったのか。どこからねじ曲がってしまったのか。こんな“ガキ”に?こんな“俺”が?あまりにも馬鹿馬鹿しくて、涙が出そうだと思った。笑える話だと思った。そんなものがなければ、ずっと知らないままで過ごせたのに。こんな病でも、彼女は治してくれるのだろうか。

頭の中で、体中で、鮮烈な色がひらめく。吸い込まれそうな緑に、心が名前を呼ぶ。濁流のような情動が折り重なり何かを歪めていく。いっそすべて引きずり出して、裁いてほしいと思った。生きていられないくらいに。

 

「……どうかしてるんだ、俺は」

気がつけば、少女は腕の中にいた。確かな熱がじわりと伝わり、このまま溶けて無くなりたいと、そう思えた。


あとがき

 

おっさんは、自分が正常でないというようなことに気付いたときは、もうどうにもできないというような危うさを感じますね。自分を戒めながら、愚かだと思いながら、その流れに引きずり込まれていくさまは……いいものですね……。(しみじみと)

ありがとうございました。