残響


チャイムが薄暗い部屋に鳴り響く。きっちりと閉めた用具棚のガラス扉から視線を逸らして、レイヴンは窓のほうを見る。それなりに大きな音で鳴っているのに、ソファのこんもりとした山はぴくりとも動かない。

近くまで行くとブランケットの端から頭が少しだけ見える。覗き込むと、かたくなに閉じられたまぶたまでは確認することができる。

「リタっち、下校時間よ」

軽く肩をゆするとわずらわしそうに首を振って背を向けられてしまう。今度はポンポンと肩をたたくと払いのけられた。乱暴な眠り姫はすっぽりブランケットを頭までかぶって丸まる。

「ちょーっと、朝まで居座るつもり? リタっちの部屋じゃないんだから」

ごろりと体がこちらに転がる。ゆっくりと開いたリタの目がレイヴンをじっと見つめていた。無の表情からすべてが消え去る前にレイヴンは慌てて口を開く。

「ああ、違う違う、そういう意味じゃなくってさ、家に帰ってゆっくり寝たほうがいいでしょって」

「起こして」

レイヴンの言葉が終わる前に言われる。伸ばされたリタの腕の中に体を傾け背中を支えて、ゆっくりと抱き起こしてやる。細い指先が肩にかかる。汗と石鹸の匂いが混じって耳元から香った。

ソファに背をあずけたリタは、ちらりと陽の沈んだ窓の外に目を向けて、戻した。気怠そうに手足をだらりと投げ出す。

「どしたの、そんな顔して」

「……見てわからないの」

あきらかに不機嫌そうな答えが返ってくる。これは絶対に今日か昨日、なにか特別に嫌なことでもあったのだと確信する。それが見て分かるようになっただけでも状況は改善したといえる。以前は何を考えているのか、どう思われているのかさっぱり読めなかった。天才少女の思考なんて一介の教師には理解できない、ともう少しで匙を投げるところだった。

「見ただけでわかっちゃっていいの?」

言うと、予想通り眉をひそめるのを見て安心する。何か嫌なことでもあったの、と言いかけて、その質問はもっと早くするべきだったと今さら後悔の念に駆られた。

リタの様子がおかしいことにはこの部屋に来たときから気づいていた。無言でガラリと扉を開けて、つかつかとこちらに歩み寄り、レイヴンの胸に倒れ込んだ。いつもと違う様子を見たのなら、何があったのか聞いてみて、話せそうなら聞き出して、ひと通り話に耳を傾ける。そうしようとした。そうすべきだった。

けれど、レイヴンの腕はそのままリタを抱き寄せた。

「アイス、食べる?」

そばにあった小さな冷蔵庫にはカップアイスがふたつ入っていた。リタが首を振るのを見てパタンと閉める。

「もう、いい」

ぱさりとブランケットを払い落として立ち上がる。制服を整えて歩いていき、屈み込んだままのレイヴンの後ろで鞄を持つ音がする。

「リタっち」

駆け寄って名前を呼ぶと、彼女はいまにも泣き出しそうな顔をした。懸命に、それを見せずにおこうと堪えるときの顔だった。胸が痛んだ。それがどういう感情かわかるはずもなかった。またレイヴンの腕はひとりでにリタへ伸びる。髪にふれてそっと撫でると、目を閉じてじっとふるえる。触れたレイヴンの手をたどって、リタの手が握り返す。

「もう……いい」

軽くレイヴンの手を押し返して、リタはくるりと背を向ける。そうして静かに準備室を出ていった。

レイヴンはきちんと閉められた扉の前でぼうっと立ち尽くしていた。胸に穴があいたような、不思議な感覚に戸惑っていた。なにを取り落としたのか、なにを悔やんでいるのか。

なぜ置いていかれたなどと感じているのか。

いつもと同じ夕方の窓辺で、くしゃりと丸まったブランケットはソファに抜け殻のように残っていた。